2014年11月28日

望郷(森瑤子)

望郷 (角川文庫) -
望郷 (角川文庫) -

竹鶴リタの物語、読み終わりました。森瑤子ワールドの中のリタはなんだか悲しいなあ。一生懸命生きて、愛する夫はきっと労わってくれた、でもそれ以上に日本に同化しようとすごく努力した、だけど完全にはなれなかった、それを「望郷」という題名で表したのではないか。

「望郷」ではリタの戦死した婚約者への感情の動きから描くことで、よりリタという人間の根っこのところへの理解が深まる。。子供を流産してしまい、自分の血の入った分身との生活が叶わなくなって、「初めてニッポン人にならなければならないと悟った」と描いている。そしてリマという養女との行き違いの生活を森瑤子は想像たくましく描く。ここのところがこの物語を読んで悲しく感じるところなのだ。

夫の姓になって夫の家族と住み、自分の育った土地を離れたいわゆる「お嫁さん」になった日本人の妻の場合でも、いくつになっても実家をなつかしく思いだす、というのはあるだろう。でも子供を産むことで、夫の家の跡取りの「母」となることで、新しい”夫の側の”土地での地位が確定される、という構図がある。リタはそれが叶わなかった。そこのところじゃないかな。リマとの別れの後の、威氏とも孫ともいい関係だったようだが、森瑤子は威に、「僕は何人子供がいても養子には出すまいと思う」と語らせている。

ただ、威氏のニッカのHPでのエッセイを読むと、10代後半で納得の上での養子縁組でもあったので、何も違和感はなかったと書いている。おじの会社を継ぐためのもの、であって、「リタおふくろ」「政孝おやじ」と書いているように、実父母は別に厳然として存在し、ニッカという会社、いわば大名の家督相続、仕事と養子縁組は一体、というように見える。

ともかく、この森瑤子ワールドの中のリタはけなげにスコットランド人として日本人として、精一杯その生を終えた、といえます。
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2014年11月08日

リタの鐘が鳴る(早瀬利之)

リタの鐘が鳴る―竹鶴リタの生涯 -
リタの鐘が鳴る―竹鶴リタの生涯 -  1995

「ウイスキーと私」に次いでこちらも読んでいる。ウイスキーと私が自伝形式であるので、妻のリタは夫である政孝からの視点だが、こちらは評伝であるので両者均等に見ている。リタの心の動きがこちらの方が分かる。・・がしかし文はあまりうまくないんじゃないか? 会話部分がどうしてもウソっぽい。。「アンのゆりかご」と同じく、小説としては読み心地が悪く、伝記としては資料が無さ過ぎで物足りない。 伝記ものの難しさか。伝記として書くなら歴史書のように会話部分など入れずにあくまでも資料に基づいて書いた方が好み。子供の頃読んだ伝記物はあれは「伝記物語」か、まだそちらの方が現実味がある。こうなると「小説」の力を感じずにはいられない。宮尾登美子の「序の舞」とか著者の視点で登場人物が生き生きと動いている。なんと森瑤子氏が「望郷 」 という題でリタのことを小説にしていると知り今読んでいるところだ。


リタの鐘がなる 竹鶴政孝を支えたスコットランド女性の生涯 (朝日文庫) -
リタの鐘がなる 竹鶴政孝を支えたスコットランド女性の生涯 (朝日文庫) - 2014.9
読んだのは図書館にあった単行本ですが文庫本も出ています。
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マッサンとリタ(オリーヴ・チェックランド)

マッサンとリタ―ジャパニーズ・ウイスキーの誕生 -
マッサンとリタ―ジャパニーズ・ウイスキーの誕生 -  2014.8NHK出版

リタについての外国人の書いた伝記ということで読んでみました。なんといってもこの本の一番の評価点は、書いてある一文一文がどの参考文献に基づいているかきちんと載っていることでしょう。政孝は日経の私の履歴書による自伝「ウイスキーと私」のほか、雑誌やインタビューなどがあり、またスコットランドでの「エルギン日記」やウイスキー製法のノートなども見てこの本は書かれています。政孝やリタにまつわる文献を知るだけでもこの本を見る価値はあります。

政孝の自伝では分からなかったことも、こちらでは詳しく分かります。また、スコットランドの地図が載ってるのもいいです。それに政孝の自伝で、ホームシックで毎夜涙にぬれていたのにリタの家族と過ごすようになって、ホームシックがうそのように治ってしまったとあり、ここをリタの家族と行ったり来たりして、と読んでいたのですが、この本を読むとリタの家の下宿人となっていたとあり、そうだったのかと思いました。それで政孝がリタと会ったのはリタの父が亡くなってからである、と自伝にお孫さんが事実と違う点についてとして一文をのせていたのですが、その意味がわかりました。
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2014年10月27日

ウイスキーと私(竹鶴政孝著)

ウイスキーと私 -
ウイスキーと私 -  2014.8.30

10月からの朝ドラがおもしろく読んでみた。テレビは最初回想シーンが交互に入り少しみずらかったが、やはり泉ピン子の木魚ぽくぽく場面でこりゃおもしろいとなった。大阪の酒店の娘の意地悪場面も定番? なにか内助の功的描き方が強調されすぎてる気もするが、そこはテレビ、この竹鶴氏の自伝はテレビ以上におもしろい。いろいろ関連本が出てるがこれは昭和47年2月にニッカウヰスキーが発行した私家版の改定復刻版。日本経済新聞の「私の履歴書」を私家版として出したものなので、きっちり31回分、各回小見出し付き。実際の連載日は47年2月より少し前のことだろう。連載月日は記載が無いのでこの本ではよくわからない。(昭和43年5月のようです)

この本で竹鶴氏は自分は幸運に恵まれていた、と言っているが確かにイギリスへの渡航中、並走して航海していた船が沈没して1名を除き全員が死亡してしまったり、またイギリスでの留学中とか、日本に戻ってのウイスキー作りにかかわってからとか、いろいろ困難はあるがいい方に舵が向いて行くようである。しかし自伝をよむとそれはやはり努力の賜物あってのことだというのが分かる。

今の大阪大学の醸造科を出ているのだが、アメリカ経由で、サンフランシスコからニューヨークまで横断して、アメリカではアメリカ訛りの英語に悩まされたが、イギリスへ行っては「私の英語はよく通じ、相手の言葉のわかるのがなによりうれしかった」とある。アメリカで昼間ワイン工場を見学し夜は英会話を習ったとあるが、当時の大学出はやはり違うのか、と感心する。おまけにリタを伴って日本に来る際もアメリカ経由なのだが、リタのイギリス英語がアメリカで通じず、竹鶴氏が通訳した、などという話も載っている。

作り酒屋なのに洋酒を学びにイギリスへ、はたまたイギリス人の妻を伴って帰国、とそのたびに最初反対されるが最後には後押ししてくれたのは「母」だったとある。そこらへんドラマとは反対なのだが、履歴書では「顧みると、ウイスキーで苦しみ、ウイスキーで喜んだ人生であった」と締めくくられている。

思えば、自分の大学時代、昭和50年代前半、飲み会といえばビールか水割りだった。コーク杯なんかもあった。しかしサントリーのダルマの方が飲まれてたかなあ。しかしヒゲの顔は確かに記憶にある。
というわけで、ニッカウイスキーを飲んでみたくなり、
ブラックニッカ これを近所のセブンイレブンから買ってきた。ニッカではこれだけが置いてあった。小鬢で289円。しかしこの形、昔やはり大学のころ鈍行で帰る帰省の東北本線で向いに座ってしまったあやしげなおじさんが懐から取り出して飲んでた形、またはジャニス・ジョップリンの写真で写ってた形と、飲んだくれのイメージがある。とはいえ私はウイスキーはストレートが好き。今夜は飲んだくれました。

てなわけで、ウイスキーにちょっと興味がわき、
ウィスキーの基本 -
ウィスキーの基本 -  552円也を買ってしまいました。まずはニッカの銘柄全部を飲んでみたい。

MrBooPapaさんのblog「読書録」に「私の履歴書 経済人11」(日本経済新聞社編)が載っておりそこに連載月日が記されていました。

黄昏ウイスキーBARinブログ 大阪マスターさんだけあり大阪の地の利がよく分かります。摂津酒造や当初二人が住んだ場所やニッカのポットスチル製造の鉄工所など興味深い記事です。


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2014年08月17日

昭和40年代ファン手帳(泉麻人)

昭和40年代ファン手帳 (中公新書ラクレ) -
昭和40年代ファン手帳 (中公新書ラクレ) -  2014.6.10発行

”同級生”泉麻人氏による編年体の昭和40年代への書き付け、メモ、思い出、エッセイ。この本の企画が、ホンモノの高校の同級生、石破茂氏との中央公論誌上での「同窓会」をテーマにした対談からだそうで、巻末に一部抜粋が載っている。高校2年時同じクラスだそうで、連日政府の弁明?をしている石破氏と、アサイ、イシハと呼び合いアイドル談義で盛り上がっている。これがまたおもしろい。なにか石破氏も身近に感じてきた。

昭和40年の1月から昭和49年の12月まで、同級生的には、小学2年の3学期から高校3年の2学期まで、1年につき7つ位のエピソードをもとに書かれている。ここは網羅性のある泉氏のこと、事柄については新聞縮刷版も参照し、なにより小学4年から6年まで毎日つけていたという日記も基になっている。なので日記が引用されているところはとてもリアルだ。東京新宿区と北関東の田舎という違いはあっても、小学生時分の出来事に対する感覚はそう違いは無い。酒びんのフタ集め、なんてのもが東京でも流行ってたとは知らなかった。6年の秋頃かと思っていたが44年始めとあり、さらに5/11付け朝日では「酒ブタ遊び、東京と近県の子供たちの間で大流行しているこの変わった遊び・・」と引用されていて氏は中学に入ってもまだ続いていたとあるが、私の小学校では少したつと禁止されピタッと終わってしまった記憶だ。また氏の住んでた中落合は学生時代の下宿先の下落合のすぐ隣とあってまた親近感が湧く。

大きく違うなと感じたのは中学生からだ。だいたい3年泉氏が先を行っている。泉氏は中学1年1学期から深夜放送を聴き始めているのだ。中間、期末の試験勉強で聴き始めたとあるが、自分は中3の三学期あたり高校受験の時からである。72年になり高校になるとかなり積極的に”外タレコンサート”に足を運び6月シカゴ、7月ELP、73年イエスと行っている。こちらは田舎で新聞のコンサート評を見て指をくわえて大学は絶対に”東京に”いかねばと決意を新たにしたのだ。おまけにディスコにも行っている。こういう付属の輩と大学で合流したわけだ。

同級生的には、まさに子供から青年、成長期である。これがこののちの10年単位となると、50年代、それ以後はあっというまのひとくくりだ。読む人の生年にもよるだろうが、定年もまじかなこの時期に回顧する40年代=成長期、なんとセピア色でしかもすぐ隣の感覚なのか。

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2014年08月10日

銀翼のイカロス(池井戸潤)

銀翼のイカロス -
銀翼のイカロス -

半沢シリーズ最新刊。発売日に買ってきました。
前作「ロスジェネの逆襲」で銀行に戻った半沢。今回は業績不振の帝国航空の再建にからみ、開発投資銀行と共に債権放棄を求められる。おりしも長期政権を担ってきた憲民党に変わって進政党政権となり、国土交通大臣は女子アナ出身の白井。その白井が自らの実績作りのために前政権の再建案を覆す私設再建室を立ち上げる。

今回も正論で挑む半沢にこれにて一件落着となるのだが、冒頭は銀行員の遺書で始まる。この銀行員がどういう人物かは中ほどまで行かないとわからないのだが、この半沢の業務に関して死者が出るほどのものが出てくるのか、と興味をかきたてられる。合併した半沢の銀行内の旧行派閥、白井大臣、白井の後ろ盾の国会議員、再建室メンバー、そして中野渡頭取の思い、左遷、出向、これらサラリーマン人生の様々な様相が描かれる。

正攻法で攻めて、こうなったらいいよね、というのをやってくれるのが半沢だ。そして理想のトップとして中野渡がいる。

しかし読んでても、頭に浮かぶ顔は、堺雅人や及川光博はじめいつもの面々。それらが頭の中で動き回って違和感がない、というか定着してしまっている。北大路欣也がトップとして苦悩する姿はほんと合ってると思う。帝国航空は日本航空か、進政党は民主党か、そして白井大臣は青いスーツ姿で描かれてるが、白いスーツ姿の蓮坊を思い浮かべながら読んでしまった。
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2014年07月27日

身延線、小海線の旅8 八千穂駅 奥村土牛美術館

八千穂駅 八千穂駅舎 八千穂駅。いよいよ最後の降車駅。

八千穂駅前 八千穂駅前。静かです。

奥村土牛美術館 駅の目の前にある奥村土牛美術館を見ました。ここ、佐久穂町の黒澤合名会社の集会場として使われた建物です。展示はデッサン類が多いですが、建物は一見の価値ありです。
奥村土牛記念美術館HP

土牛が疎開していた離れ 集会場の裏に離れが続いてあり、ここに昭和22年間から4年間疎開。家族10人で暮らしたそうです。

佐久平駅近く 佐久平駅近く。小海線は清里、野辺山当たりは八ヶ岳のすそ野の高原だが、長野に入ると山が迫る。ここ佐久平あたりになると平地が広がり、新幹線の駅と接続するだけあり、ジャスコ、その隣にはベイシア、高いビルもけっこうある。新幹線にのると大宮まであっという間だった。






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2014年07月26日

身延線、小海線の旅7 野辺山駅

JR標高最高点 いよいよ清里駅の次、JR最高地点へ。列車の窓から。

野辺山駅舎 JR標高最高点の野辺山駅に。駅前は広々した高原の趣です。

野辺山駅2 何か所か最高点の看板があります。

野辺山駅説明板

野辺山駅説明板2 清里、野辺山あたりでぐっと標高が高くなっている。

野辺山駅記念入場券 記念入場券を買いました

駅前の公園に隣接して「南牧村美術民俗資料館」の建物があり、そちらもちらっと見てきました。
資料館は岩石、石器、農業、歴史、生物と郷土資料的なものが所狭しと並んでました。標高日本一の駅があるくらいで高原の農業ということで、ポール・ラッシュ記念館にあったのと似たトラクターが展示されてました。また石器・矢じりで国指定の遺跡があるようで、たくさんの石器・矢じりが展示されてました。多くは個人のコレクション寄贈で、矢じりにかけるその方の意気込みが感じられました。

南牧村美術民俗資料館HP 矢出川遺跡出土の矢じりがすごい








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身延線、小海線の旅6 ポール・ラッシュ記念館

ポール・ラッシュ記念館1 清泉寮の奥にポール・ラッシュ氏の家が記念館になって残されています。1897アメリカインディアナ州生まれ。最初は実業家だったが、YMCAの一員として関東大震災直後の日本支援のため来日。立教大学の教師にもなりアメリカン・フットボールを日本に紹介。太平洋戦争で強制送還されるも、戦後すぐ来日し、農村の復興が日本の復興の基盤になるとの思想でkeep協会・清里農村センターを開始。高冷地農業、農村復興のモデルとなる。初来日はエルサレムか日本かだったそうで、案内には、どちらでもよかった、とにかく未知の世界に行きたかったとありました。今回の旅行で初めて知ったわけですが、1青年の来日が今日こんな形で広がっていることに感銘をおぼえます。

ポール・ラッシュ記念館 執務室 執務室

ポール・ラッシュ記念館 執務室2 執務室

ポール・ラッシュ記念館 食事室 食事室 奥は台所か。パンフレットによると、初来日の際は婚約者を残して、震災復興を終え帰りの船便まで予約したが、1年だけ立教大学で教えてくれ、といわれ、それから長いかかわりが始まったようです。生涯独身。

ポール・ラッシュ記念館 寝室 寝室。キルトが。

ポール・ラッシュ記念館HP 
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身延線、小海線の旅5 清里・清泉寮

清里駅 清里駅。ここからピクニックバスで清泉寮へ。

清里駅観光センター  清里駅観光案内所方面

清里駅前 メルヘンチックな建物が。今は使用してないようだ。

清泉寮 清泉寮。ソフトクリームの無料券をもらったのでまずは食べる。清里と大泉から清泉寮と名づけられたそうだ。

清泉農場 寮の前に広がるkeep農場。Kiyosato Educational Experiment Project(清里教育実験計画)1頭のジャージー牛から始まった。

ポール・ラッシュ像 清泉寮、keep農場開祖、ポール・ラッシュ像。この像を後ろから見ると遠くに富士山が見えるらしい。

ポール・ラッシュ経歴 ポール・ラッシュ氏経歴



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