2014年12月24日

ミストレス(篠田節子)

ミストレス -
ミストレス -  2013.8.20

恋愛に関する5編。いずれも幻やホラーがある篠田ワールドでの恋愛様態。

「やまね」は冬眠する習性がある弱弱しい女性に恋してしまう男性の話。5編の中では一番きらいなタイプの女性なのだが、読んで印象に残ってるのがこれとは皮肉。
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長女たち(篠田節子)

長女たち -
長女たち -  2014.2.14

いずれも兄弟姉妹がある長女と母との関係を描いた長編が3つ。一番あるあると印象に残ったのが最初の「家守娘」

2人の姉妹。勉強のできた優秀な長女。結婚して一子をもうけるものの子供を置いて離婚し実家に戻ってきた。方や勉強はできなかった妹は夫の両親と同居し、「嫁」として「主婦」として世間並みの常識とともに「成長」してゆく。今やぼけ始めた母の面倒は、ひとり長女である姉にかかっている。妹の前では母は正常で、婚家が大事とまったく妹は母の面倒を見ない。ついに姉はボケ始めた母の面倒をみるため会社をやめてしまう。「自宅で不愉快な年寄りと二十四時間付き添うのに比べれば、会社の仕事など遊んでいるようなものだ」・・・まったくその通り。よく言ってくれたぞ、篠田さん。とはいえ、付き合っていた男にだまされそうになると、結果的に土地と母という最大の重圧が姉を救う事になったりと、最後には母に花を持たせるところが、篠田氏のやさしさか。うーん、しかし、しかし、まったく戦前の価値観で生きている母は重いぞ。重すぎる。家守り娘が完全に自由になるのは母の死をもってしかない。この感じ、嫁に行った妹には分からないだろう。
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2014年11月30日

ウイスキーとダンディズム(竹鶴孝太郎著)

ウイスキーとダンディズム 祖父・竹鶴政孝の美意識と暮らし方 (oneテーマ21) -
ウイスキーとダンディズム 祖父・竹鶴政孝の美意識と暮らし方 (oneテーマ21) -

副題にあるようにマッサンこと竹鶴政孝の孫・孝太郎氏の書いた本。同居の孫からみた祖父母である政孝、リタ、家族、工場回りの話で、これがめっぽうおもしろい。最初はなんだ便乗本かと思ったが、なんといっても同居していた人の書いた本である、生の姿が語られる。また孝太郎氏は生まれた環境を「所与のもの」と表現していて、著者は昭和28年生まれなので、リタは8歳の時に64歳で亡くなっているのだが、同級生のおばあちゃんと「違っている」とか「違ってない」とかではなく、もう自分にとって祖母が青い目なのは「あたりまえの普通のこと」なのだとある。

リタについては、漬物をつけたり、いかに日本人に同化したかと美談風に語られるが、「文化や美意識まで日本人のそれと入れ替えたわけではなく」、わが家といえども自分の部屋から出たら、神の目を意識しきちんとした格好をする、などという生まれ育った流儀を政孝は尊重し、その一方で政孝はリタに遠慮することもなく自分の慣れ親しんだ和の精神と文化を尊んでいたので、「わが家ではふたつの文化が溶け合うことも、反発しあうこともなく」自然な形で共存していたと書いている。政孝は和食を好み、そのためリタは梅干しや沢庵を漬けていたのだが、出張でいない時にはここぞとばかり食卓にはローストビーフなどが並んだという。ただ、父母は大人になってこういう生活になったので葛藤があったと思うが、自分は生まれた時からそうなので、何の不思議も葛藤もなく和の政孝流と洋のリタ流のふたつの流儀が仲良く共存している、と書いている。

森瑤子の小説の世界では、養女のリマにどうして母の目が青いの?として、母に買ってもらった青い目の人形の目を黒く塗る、という場面が出てくる。本当の子供だったら?とか小説の中だから、というのもあるが、やっと孫の代になって、リタは受け入れられたという気がする。

孝太郎氏の覚えている、祖母リタから母に伝わったスープや件のクリスマスプディングなどのリタの料理のレシピや、また祖父政孝の毎晩の水割りは孝太郎氏の妹が作っていたとか、まさに暮らしがしのばれる。そして、リタが亡くなった朝「おばあちゃんが死んじゃった、おばあちゃんが死んじゃった」とリビングまで聞こえた声が今も耳に残っているという。そして祖父の亡くなる病室では「文化の違う人間同士が一緒になるのは大変なことだ。わしは、おばあちゃんには苦労をさせてしまった。だからお前は国際結婚はするなよ」であったという。

著者は15歳まで余市で過ごし、そこでの生活はかなり野性味あふれるものだ。項目に「七光りの葛藤」があるが、著者が就職する昭和50年頃にはすでにニッカは銘柄会社である。結局ニッカに就職し約20年勤め3代目は3代目でいろいろ葛藤はあったようであるが、外国人の祖母を所与のものとして受け入れたのと同じく、基本的にとても素直な性格の人という印象を持ち好感を持った。
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2014年11月28日

望郷(森瑤子)

望郷 (角川文庫) -
望郷 (角川文庫) -

竹鶴リタの物語、読み終わりました。森瑤子ワールドの中のリタはなんだか悲しいなあ。一生懸命生きて、愛する夫はきっと労わってくれた、でもそれ以上に日本に同化しようとすごく努力した、だけど完全にはなれなかった、それを「望郷」という題名で表したのではないか。

「望郷」ではリタの戦死した婚約者への感情の動きから描くことで、よりリタという人間の根っこのところへの理解が深まる。。子供を流産してしまい、自分の血の入った分身との生活が叶わなくなって、「初めてニッポン人にならなければならないと悟った」と描いている。そしてリマという養女との行き違いの生活を森瑤子は想像たくましく描く。ここのところがこの物語を読んで悲しく感じるところなのだ。

夫の姓になって夫の家族と住み、自分の育った土地を離れたいわゆる「お嫁さん」になった日本人の妻の場合でも、いくつになっても実家をなつかしく思いだす、というのはあるだろう。でも子供を産むことで、夫の家の跡取りの「母」となることで、新しい”夫の側の”土地での地位が確定される、という構図がある。リタはそれが叶わなかった。そこのところじゃないかな。リマとの別れの後の、威氏とも孫ともいい関係だったようだが、森瑤子は威に、「僕は何人子供がいても養子には出すまいと思う」と語らせている。

ただ、威氏のニッカのHPでのエッセイを読むと、10代後半で納得の上での養子縁組でもあったので、何も違和感はなかったと書いている。おじの会社を継ぐためのもの、であって、「リタおふくろ」「政孝おやじ」と書いているように、実父母は別に厳然として存在し、ニッカという会社、いわば大名の家督相続、仕事と養子縁組は一体、というように見える。

ともかく、この森瑤子ワールドの中のリタはけなげにスコットランド人として日本人として、精一杯その生を終えた、といえます。
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2014年11月08日

リタの鐘が鳴る(早瀬利之)

リタの鐘が鳴る―竹鶴リタの生涯 -
リタの鐘が鳴る―竹鶴リタの生涯 -  1995

「ウイスキーと私」に次いでこちらも読んでいる。ウイスキーと私が自伝形式であるので、妻のリタは夫である政孝からの視点だが、こちらは評伝であるので両者均等に見ている。リタの心の動きがこちらの方が分かる。・・がしかし文はあまりうまくないんじゃないか? 会話部分がどうしてもウソっぽい。。「アンのゆりかご」と同じく、小説としては読み心地が悪く、伝記としては資料が無さ過ぎで物足りない。 伝記ものの難しさか。伝記として書くなら歴史書のように会話部分など入れずにあくまでも資料に基づいて書いた方が好み。子供の頃読んだ伝記物はあれは「伝記物語」か、まだそちらの方が現実味がある。こうなると「小説」の力を感じずにはいられない。宮尾登美子の「序の舞」とか著者の視点で登場人物が生き生きと動いている。なんと森瑤子氏が「望郷 」 という題でリタのことを小説にしていると知り今読んでいるところだ。


リタの鐘がなる 竹鶴政孝を支えたスコットランド女性の生涯 (朝日文庫) -
リタの鐘がなる 竹鶴政孝を支えたスコットランド女性の生涯 (朝日文庫) - 2014.9
読んだのは図書館にあった単行本ですが文庫本も出ています。
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マッサンとリタ(オリーヴ・チェックランド)

マッサンとリタ―ジャパニーズ・ウイスキーの誕生 -
マッサンとリタ―ジャパニーズ・ウイスキーの誕生 -  2014.8NHK出版

リタについての外国人の書いた伝記ということで読んでみました。なんといってもこの本の一番の評価点は、書いてある一文一文がどの参考文献に基づいているかきちんと載っていることでしょう。政孝は日経の私の履歴書による自伝「ウイスキーと私」のほか、雑誌やインタビューなどがあり、またスコットランドでの「エルギン日記」やウイスキー製法のノートなども見てこの本は書かれています。政孝やリタにまつわる文献を知るだけでもこの本を見る価値はあります。

政孝の自伝では分からなかったことも、こちらでは詳しく分かります。また、スコットランドの地図が載ってるのもいいです。それに政孝の自伝で、ホームシックで毎夜涙にぬれていたのにリタの家族と過ごすようになって、ホームシックがうそのように治ってしまったとあり、ここをリタの家族と行ったり来たりして、と読んでいたのですが、この本を読むとリタの家の下宿人となっていたとあり、そうだったのかと思いました。それで政孝がリタと会ったのはリタの父が亡くなってからである、と自伝にお孫さんが事実と違う点についてとして一文をのせていたのですが、その意味がわかりました。
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2014年10月27日

ウイスキーと私(竹鶴政孝著)

ウイスキーと私 -
ウイスキーと私 -  2014.8.30

10月からの朝ドラがおもしろく読んでみた。テレビは最初回想シーンが交互に入り少しみずらかったが、やはり泉ピン子の木魚ぽくぽく場面でこりゃおもしろいとなった。大阪の酒店の娘の意地悪場面も定番? なにか内助の功的描き方が強調されすぎてる気もするが、そこはテレビ、この竹鶴氏の自伝はテレビ以上におもしろい。いろいろ関連本が出てるがこれは昭和47年2月にニッカウヰスキーが発行した私家版の改定復刻版。日本経済新聞の「私の履歴書」を私家版として出したものなので、きっちり31回分、各回小見出し付き。実際の連載日は47年2月より少し前のことだろう。連載月日は記載が無いのでこの本ではよくわからない。(昭和43年5月のようです)

この本で竹鶴氏は自分は幸運に恵まれていた、と言っているが確かにイギリスへの渡航中、並走して航海していた船が沈没して1名を除き全員が死亡してしまったり、またイギリスでの留学中とか、日本に戻ってのウイスキー作りにかかわってからとか、いろいろ困難はあるがいい方に舵が向いて行くようである。しかし自伝をよむとそれはやはり努力の賜物あってのことだというのが分かる。

今の大阪大学の醸造科を出ているのだが、アメリカ経由で、サンフランシスコからニューヨークまで横断して、アメリカではアメリカ訛りの英語に悩まされたが、イギリスへ行っては「私の英語はよく通じ、相手の言葉のわかるのがなによりうれしかった」とある。アメリカで昼間ワイン工場を見学し夜は英会話を習ったとあるが、当時の大学出はやはり違うのか、と感心する。おまけにリタを伴って日本に来る際もアメリカ経由なのだが、リタのイギリス英語がアメリカで通じず、竹鶴氏が通訳した、などという話も載っている。

作り酒屋なのに洋酒を学びにイギリスへ、はたまたイギリス人の妻を伴って帰国、とそのたびに最初反対されるが最後には後押ししてくれたのは「母」だったとある。そこらへんドラマとは反対なのだが、履歴書では「顧みると、ウイスキーで苦しみ、ウイスキーで喜んだ人生であった」と締めくくられている。

思えば、自分の大学時代、昭和50年代前半、飲み会といえばビールか水割りだった。コーク杯なんかもあった。しかしサントリーのダルマの方が飲まれてたかなあ。しかしヒゲの顔は確かに記憶にある。
というわけで、ニッカウイスキーを飲んでみたくなり、
ブラックニッカ これを近所のセブンイレブンから買ってきた。ニッカではこれだけが置いてあった。小鬢で289円。しかしこの形、昔やはり大学のころ鈍行で帰る帰省の東北本線で向いに座ってしまったあやしげなおじさんが懐から取り出して飲んでた形、またはジャニス・ジョップリンの写真で写ってた形と、飲んだくれのイメージがある。とはいえ私はウイスキーはストレートが好き。今夜は飲んだくれました。

てなわけで、ウイスキーにちょっと興味がわき、
ウィスキーの基本 -
ウィスキーの基本 -  552円也を買ってしまいました。まずはニッカの銘柄全部を飲んでみたい。

MrBooPapaさんのblog「読書録」に「私の履歴書 経済人11」(日本経済新聞社編)が載っておりそこに連載月日が記されていました。

黄昏ウイスキーBARinブログ 大阪マスターさんだけあり大阪の地の利がよく分かります。摂津酒造や当初二人が住んだ場所やニッカのポットスチル製造の鉄工所など興味深い記事です。


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2014年08月17日

昭和40年代ファン手帳(泉麻人)

昭和40年代ファン手帳 (中公新書ラクレ) -
昭和40年代ファン手帳 (中公新書ラクレ) -  2014.6.10発行

”同級生”泉麻人氏による編年体の昭和40年代への書き付け、メモ、思い出、エッセイ。この本の企画が、ホンモノの高校の同級生、石破茂氏との中央公論誌上での「同窓会」をテーマにした対談からだそうで、巻末に一部抜粋が載っている。高校2年時同じクラスだそうで、連日政府の弁明?をしている石破氏と、アサイ、イシハと呼び合いアイドル談義で盛り上がっている。これがまたおもしろい。なにか石破氏も身近に感じてきた。

昭和40年の1月から昭和49年の12月まで、同級生的には、小学2年の3学期から高校3年の2学期まで、1年につき7つ位のエピソードをもとに書かれている。ここは網羅性のある泉氏のこと、事柄については新聞縮刷版も参照し、なにより小学4年から6年まで毎日つけていたという日記も基になっている。なので日記が引用されているところはとてもリアルだ。東京新宿区と北関東の田舎という違いはあっても、小学生時分の出来事に対する感覚はそう違いは無い。酒びんのフタ集め、なんてのもが東京でも流行ってたとは知らなかった。6年の秋頃かと思っていたが44年始めとあり、さらに5/11付け朝日では「酒ブタ遊び、東京と近県の子供たちの間で大流行しているこの変わった遊び・・」と引用されていて氏は中学に入ってもまだ続いていたとあるが、私の小学校では少したつと禁止されピタッと終わってしまった記憶だ。また氏の住んでた中落合は学生時代の下宿先の下落合のすぐ隣とあってまた親近感が湧く。

大きく違うなと感じたのは中学生からだ。だいたい3年泉氏が先を行っている。泉氏は中学1年1学期から深夜放送を聴き始めているのだ。中間、期末の試験勉強で聴き始めたとあるが、自分は中3の三学期あたり高校受験の時からである。72年になり高校になるとかなり積極的に”外タレコンサート”に足を運び6月シカゴ、7月ELP、73年イエスと行っている。こちらは田舎で新聞のコンサート評を見て指をくわえて大学は絶対に”東京に”いかねばと決意を新たにしたのだ。おまけにディスコにも行っている。こういう付属の輩と大学で合流したわけだ。

同級生的には、まさに子供から青年、成長期である。これがこののちの10年単位となると、50年代、それ以後はあっというまのひとくくりだ。読む人の生年にもよるだろうが、定年もまじかなこの時期に回顧する40年代=成長期、なんとセピア色でしかもすぐ隣の感覚なのか。

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2014年08月10日

銀翼のイカロス(池井戸潤)

銀翼のイカロス -
銀翼のイカロス -

半沢シリーズ最新刊。発売日に買ってきました。
前作「ロスジェネの逆襲」で銀行に戻った半沢。今回は業績不振の帝国航空の再建にからみ、開発投資銀行と共に債権放棄を求められる。おりしも長期政権を担ってきた憲民党に変わって進政党政権となり、国土交通大臣は女子アナ出身の白井。その白井が自らの実績作りのために前政権の再建案を覆す私設再建室を立ち上げる。

今回も正論で挑む半沢にこれにて一件落着となるのだが、冒頭は銀行員の遺書で始まる。この銀行員がどういう人物かは中ほどまで行かないとわからないのだが、この半沢の業務に関して死者が出るほどのものが出てくるのか、と興味をかきたてられる。合併した半沢の銀行内の旧行派閥、白井大臣、白井の後ろ盾の国会議員、再建室メンバー、そして中野渡頭取の思い、左遷、出向、これらサラリーマン人生の様々な様相が描かれる。

正攻法で攻めて、こうなったらいいよね、というのをやってくれるのが半沢だ。そして理想のトップとして中野渡がいる。

しかし読んでても、頭に浮かぶ顔は、堺雅人や及川光博はじめいつもの面々。それらが頭の中で動き回って違和感がない、というか定着してしまっている。北大路欣也がトップとして苦悩する姿はほんと合ってると思う。帝国航空は日本航空か、進政党は民主党か、そして白井大臣は青いスーツ姿で描かれてるが、白いスーツ姿の蓮坊を思い浮かべながら読んでしまった。
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2014年07月27日

身延線、小海線の旅8 八千穂駅 奥村土牛美術館

八千穂駅 八千穂駅舎 八千穂駅。いよいよ最後の降車駅。

八千穂駅前 八千穂駅前。静かです。

奥村土牛美術館 駅の目の前にある奥村土牛美術館を見ました。ここ、佐久穂町の黒澤合名会社の集会場として使われた建物です。展示はデッサン類が多いですが、建物は一見の価値ありです。
奥村土牛記念美術館HP

土牛が疎開していた離れ 集会場の裏に離れが続いてあり、ここに昭和22年間から4年間疎開。家族10人で暮らしたそうです。

佐久平駅近く 佐久平駅近く。小海線は清里、野辺山当たりは八ヶ岳のすそ野の高原だが、長野に入ると山が迫る。ここ佐久平あたりになると平地が広がり、新幹線の駅と接続するだけあり、ジャスコ、その隣にはベイシア、高いビルもけっこうある。新幹線にのると大宮まであっという間だった。






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