2018年02月11日

シュピルマンの時計(クリストファー・スピルマン著)

シュピルマンの時計 -
シュピルマンの時計 -  2003.9小学館

「戦場のピアニスト」シュピルマンの長男の著。シュピルマンは映画「戦場のピアニスト」で描かれたようにゲットーを生き抜き、戦後はポーランドでピアニストとして大成した。映画のその後を父としてのシュピルマンを長男の目を通して綴った。

シュピルマンは1950年に結婚し、この著者長男は1951年生まれ、「戦場のピアニスト」で序文を寄せている次男は1956年生まれ。本は長男クリストファーの生活と共に書かれており、50年代から70年代のポーランドの生活事情が垣間見られそこが貴重な本だ。母は医者でシュピルマンは著名な音楽家であり、社会主義国ポーランドでは普通の家庭にはない自動車があり別荘もあったようだ。BBC放送など外国放送は自由に聴くことができ、子供時代はテレビでアメリカのホームドラマが流れ、また「七人の侍」なども見ているという。ただ社会全体では物資が不足し、そこに戦争体験が加わり父シュピルマンは物をためこむ癖があり、表紙の時計は数ある時計の中から父からもらったものだという。

シュピルマンはジャズも聴き、また弾いて、オスカー・ピーターソンがポーランドに来た時は会いに行き、会えたことを誇りにしていた。エルビス・プレスリーも嫌いではなかったが、ビートルズは素人の音楽だといって受け付けなかったようだ。また勉強しながら音楽を聴くと怒られ、音楽は専念して聴くべし、と「音楽は父にとって厳かな存在だった」。家には常に父の仕事のピアノの音があり、ピアノを弾くことで戦争の記憶を封印していたのではないか、と記している。

1951年のある日、ホーゼンフェルトの家族から放送局に手紙が届き、そこで初めて助けてくれたドイツ兵の名前が分かった。そこでポーランド共産党の幹部に助けてほしいと頼んだが、ソ連は「収容所には犯罪人しかいない」と、取り付く島もなかったという。1953年にスターリンが亡くなり、1956年にスターリン批判がされれ、1957年に西ドイツに演奏旅行に行った。生きていると期待してホーゼンフェルトの家に行ったが、1952年にスターリングラードの収容所で心身を病んで亡くなっていた。が、遺族とは今もつきあいを続けており、映画試写会には息子夫人が招待されている。

また「戦場のピアニスト」は初版後直ぐ絶版になっているが、それは共産主義によって発禁になったのではなく、ポーランドの物資不足で再版に回す紙が無かったからだという。本はベストセラーとなり、後に夫人となる母も高校生の時に読んでいるくらいで、一応の成果を見たという事で、紙は別の出版物~政府の広報優先とされたという。

また1948年にはポーランドで映画化の話が持ち上がったが、主人公が労働者じゃないなど共産党の検閲が入り、主人公は集団になり、シュピルマンも原作者から名をはずすよう頼んだ。著者が10代のころ~1960年代にテレビで「ワルシャワのロビンソン」として放送されたが原作とは似ても似つかぬものだったという。

父シュピルマン氏は引退後、自分ひとり生き残ってしまった、という思いにかられる事が多く、そんな時期に映画化の話が持ち上がったという。また父シュピルマンは戦争については語ることなく、この長男クリストファー氏は、11歳の時に屋根裏にあった父の本を偶然見つけて読み、初めて父の家族がいないのが分かったという。書かれている事実は少年にとってとても重く、まだ6歳だった弟に話したという。その後も直接父と話すことは無く、父は本を隠すほど子供たちの目にふれさせたくなかったのだと理解したという。母でさえも戦争のことを聞くのはためらわれたという。

母によると「お父さんがいちばんつらく怒りを感じたのは、同じユダヤ人で、ユダヤ人警察にいて人を殺した人が、戦後も生き延びていること、それがいちばん大きな問題だった」と語ったという。

著者クリストファー氏だが、高校を出ると、イギリスのリーズ学に行き、ロンドン市役所に勤め、柔道を習い、日本にやってくる。またロンドンに戻り78年から80年までロンドン大学の日本語学科で学び、再び日本に来てボランティア活動でバンコクに渡る。さらにアメリカのエール大学大学院で歴史、東アジア研究学科を85年に終了。さらに91年アメリカのバージニア州立大学で日本史を教えている時、妻となる日本人研究者と会い結婚。そして来日し、九州産業大学教授を経て 2017現在帝京大学教授。 専門は日本近代政治思想史。ということでこの本は日本語で書かれている。

クリストファー氏は14,5歳になるとポーランドから出たいと思うようになった。ポーランドでは「シュピルマンの息子」の立場から逃れられず、また自由に旅行ができず、物資も不足して、真の言論の自由の無い社会から出たい思いだったようだ。また1956年以降は、外国から「招待状」をもらい数年、各国に出稼ぎに行くポーランド人が多くいたそうだ。

クリストファー・スピルマン氏インタビュー 2005年1月(株式会社エス・エー・エス)
スピルマン氏略歴 (ウィキペディア)

ウワディスワフ・シュピルマンは1911年にポーランド南部のソスノヴェッツで生まれ、ワルシャワ音楽院で学び、ベルリンにも留学している。戦前はポーランド放送局で働いていたが、戦後、再びポーランド放送局で働き始め、1963年まで音楽部門の主任を務め、その後は演奏旅行の傍らワルシャワ五重奏団の活動に専念し、世界中で5千回ものコンサートを行ったのち、1986年に引退し作曲に専念。2000年7月6日に亡くなった。歌謡曲も多く作曲し「赤いバス」はポーランドの国民歌謡とか。

シュピルマン オリジナル・レコーディング - シュピルマン(ウワディスワフ)
シュピルマン オリジナル・レコーディング - シュピルマン(ウワディスワフ) シュピルマン氏演奏のCD 2003

ウワディスワフ・シュピルマンを唄う - ウェンディ・ランズ
ウワディスワフ・シュピルマンを唄う - ウェンディ・ランズ シュピルマンの歌謡曲? 2003

「ワルシャワの赤いバス」(Czerwony Autobus) youtube これがそうなのか?

ポーランドについてほとんど何も知らないんだなあと思う。著者の母方の祖父はポーランドのロシア占領時代に独立の地下組織にかかわり、逮捕され12年間シベリアの収容所にいて、足と腕にはその時の鎖の痕があったという。さらに1939年に戦争が起こると今度はドイツ軍に逮捕され終戦まで6年間収容所にいたという。弟のアンジェイは西ドイツで歯科医をやっているというが「戦場のピアニスト」の前書きで、「長年ドイツで暮らしてきて、ドイツ人とポーランド人とユダヤ人の間の交流が欠如していることをとてもつらいことだと思ってきた」と書いている。

ラベル:ユダヤ人迫害
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2018年02月10日

戦場のピアニスト(ウワディスワフ・シュピルマン著)

戦場のピアニスト -
戦場のピアニスト -  2000.2春秋社刊

映画を見て原作も読んでみたくなり読んでみました。

映画はこの原作にほぼ忠実に作ってありました。さらに驚くべきことには、映画よりこちらの本の方が(言い換えれば事実が)迫害の方法、というか殺戮のやり方が残虐だったことです。映画でも街中からユダヤ人を選別し並べて射殺する場面や子供が殺される場面が何度か出てきて、なんと・・・と目をそむけたくなりますが、本ではシュピルマンの目の前で起こったその出来事が淡々と書かれています。殺戮や死体の転がっているのが日常になっているのです。敵軍が自国に侵入し、住居の周りに常に敵兵がいて一般市民が日常に殺されるという恐怖です。

また、戦争は起きるかもしれないという雰囲気はあったものの、戦争開始はやはり突然で1939年9月1日早朝、シュピルマンは爆撃の音で目を覚まします。そして仕事場のポーランド放送局に向かいます。また、強制収容所への移動の場面でも、最初は「労働」と言われ、自分たちの身に何が起こっているのかよくわかっていないのが分かります。

シュピルマンは1911年の生まれ。1939年の戦争開始時は28歳。戦争まではワルシャワ放送局でのピアニストとしての仕事をし、ゲットーに囲まれてからはゲットー内でのレストランでのピアノ弾きをする。

ユダヤ人の強制移送はドイツ兵によってされたのかと思っていましたが、ドイツ兵の指揮のもと、直接ひったてるのはユダヤ人評議会、ユダヤ人警察によってなのをこの本で初めて知りました。映画ではそこら辺がよく分からなかった。またドイツ以外は解放者と単純に考えていましたが、ウクライナは複雑で、この本ではポーランド同胞以外は皆、敵でした。

本ではワルシャワ解放でシュピルマンは自由になりますが、ポーランドのその後を思うと、第二次世界大戦が終わっても今度は社会主義体制となり、また別の苦難が待っているんだよなあと思いました。

エピローグを書いているドイツの詩人ヴォルフ・ビールマンは、本の再版がドイツで決まった時、老シュピルマンに恩人のドイツ兵ホーゼンフェルト大尉について聞くと「私は話したくないんだ。・・恥ずかしいんだ。1950年代の終わりに大尉の名前をやっと見つけて、こともあろうにポーランドの最高権力者ベルマンに頼んだんだ。ベルマンは、そのドイツ人がポーランドにいるならね、ソ連は将校を釈放するつもりはない、あの将校はスパイ活動とかかわりのある分隊にいたというんだな、だからポーランド人としてはどうにもならない、と言ったんだ」と言ったそうです。

原著は1946年に「ある都市の死」という題でポーランドで出版されたが、救ったドイツ兵はオーストラリア人とされた。戦後すぐはポーランドでドイツ兵が勇敢な人助けをした本を出版するのは不可能だったとある。



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2018年01月19日

すごいトシヨリBOOK(池内紀)

池内氏がNHKラジオでの「著者からの手紙」コーナーに出ていて(2017年11月)、この本の内容について77歳の今の生活を語っていた。それがなんだかおもしろく、あったかくて楽しそうだった。

すごいトシヨリBOOK トシをとると楽しみがふえる -
すごいトシヨリBOOK トシをとると楽しみがふえる -  池内紀著 朝日新聞出版刊2017.8.15

現在77歳の池内氏。老いは70歳を境に急速に現実化したが、目を背けず、現実を楽しむことだという。
人生に行きと帰りがあれば50歳あたりで下り坂。しかしリタイア後のこの下り坂が楽しくないと、せっかく生きてることもとてもつまらなくなるという。しかし季節は冬が来たら次は春が来るが、人生の残念な点は、春はもう来ない、というのが老いの無慈悲なところだとのたまう。

本はラジオの語りがずっと続く感じ。「二列目の人生」 「世紀末と楽園幻想 」 などを読んだことがあり、ドイツ文学者として多数の著作があり、仕事も十分にやったとはた目には見えるが、それでもなお、楽しみを見つけて老いの人生を楽しんでいる池内氏。

老人になると体力的にも記憶力的にも劣ってきて、「深海魚」だという。「深海魚」は水圧のために目玉が飛び出たり、口がカーッと開いてたりするが、歳月も深い海と似て、長生きをしてくると過去の重荷で体が曲がったり、顔が歪んだりしてきたりする、と。新しい言葉や考え方に馴染めない、考えや判断の基準が古い、「ああ、これが老いなんだ」と見極めればいいのです、という。

自分の老いへのガイドはもちろんだが、配偶者の老いへの理解に役立ちそう。


また、年末だったか五木寛之氏がテレビで、年取ることは登山に例えると下山で、登るより下山の方が難しい。だけど見晴らしはいいんだ、と語っていた。その考え方がおもしろいと思った。
孤独のすすめ - 人生後半の生き方 (中公新書ラクレ) -
孤独のすすめ - 人生後半の生き方 (中公新書ラクレ) -  2017.7.6刊
最新のこの本でも、下山の思想を書いている。

下山の思想 (幻冬舎新書) -
下山の思想 (幻冬舎新書) -  2011.12.9刊
随分前に下山の考えは言っていたのだ。

ラベル:老い
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2017年12月09日

夜想曲集(カズオイシグロ)

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫) -
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫) -  2011.2.15

副題のとおり、音楽と夕暮れがモチーフとなる5つの短編集。ぼく、として語られる主人公は音楽家だったり、音楽好きだったり。そして主人公に関係するカップルが登場するがどれも関係が危うくなっている。話の進行には音楽が介在し、物語は進む。5つの短編それぞれが一つの曲が流れるように、一つの曲を聴き終わるように、そんな読後感だ。

「老歌手」はベネチアでバンドを掛け持ちするギター弾きが、ある老歌手が妻のためにホテルの窓下の水路で歌う伴奏をする。なぜそういうシチュエーションが起きたのかがミソ。

「降っても晴れても」は、雲行きが怪しくなった、ロンドンに住む大学時代のクラスメイト夫婦の家に訪問した47歳の主人公の話。その妻と主人公とは音楽の好みで共通点があったが・・・

「モールバンヒルズ」は、ひと夏、姉夫婦の営むイギリスのモールバンヒルのカフェで働くギターで身を立てようとする若い男性が、客として訪れた音楽家夫婦に自分の作った曲を聴いてもらうと・・。

「夜想曲」。これはなにかとんでもなく突飛な設定。売れないサックス吹きが、「整形をしたら売れるんじゃない?」というマネージャーの言に従い手術をしたが、その術後の部屋の隣に有名な女性スターがいて・・

「チェリスト」。これもなんとも不思議な話。イタリアのアドリア海に面した町で、若いチェリストがやってきて町のバンドに在籍するが、天才チェリストと名乗る女性と出会い、自身の演奏を指導してもらうが、女性は決して自分では演奏して見せない。実は・・

カズオイシグロ氏のネット上のメモ
ノーベル文学賞イシグロさん記念講演 原点は想像の日本 毎日新聞12/8

カズオイシグロさん受賞式を前に会見 朝日デジタル12/7

カズオ・イシグロの素顔 東洋経済2017.10.6

親族が語る一雄君のこと 週刊現代2017.10.24

綾瀬はるか、カズオイシグロに会いに行く 文芸春秋2016.2月号 (わたしを離さないでドラマ化に際し)

カズオイシグロインタビュー The Paris Review(アメリカの季刊誌)2008.春 をバルカローレさんが訳したもの 

日本への想い、村上春樹のこと 文学界2006年8月号 聞き手・大野和基 ※大野氏のインタビュー集書籍「知の最先端」 (PHP新書) -  にも所収。

カズオイシグロに阿川佐和子が聞いた 文春オンライン 週刊文春2001.11.8号

カズオ・イシグロ 文学白熱教室 [DVD] -
カズオ・イシグロ 文学白熱教室 [DVD] -  2015.7.15放送の文学白熱教室がDVD化 2018.2.9発売予定

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2017年08月08日

イギリスはおいしい(林望)

イギリスはおいしい (文春文庫) -
イギリスはおいしい (文春文庫) -  1991.3初版
というわけで、イギリス食についての見解を求めてリンボウ先生の「イギリスはおいしい」を読んでみました。発売当時日本エッセイストクラブ賞もとっています。氏は研究のためイギリスに滞在していたのでホテルの旅行食ではなく、家庭料理も食べているし、なんと料理が得意な大学の先生に弟子入りして料理を習っているのです。

しかし最初に、”イギリスを愛すること人並以上の私も、イギリス料理はまずい、というのを「ある意味で」認めざるを得ない”と言っています。彼によると、塩気と食感に対する日本人との感覚の違いです。塩気に関しては程よい加減がわからない・・ので食卓で各自塩を振る。また野菜をとにかく、くたくたに茹でてしまう、とあります。しかしこの野菜に関しては、氏の滞在していた1986,7年から30年後に旅したわけですが、茹ですぎた野菜には遭遇しませんでした。ほとんどサラダで生野菜にドレッシングで、そのドレッシングの味付けはまあまあでした。あるいはそういうメニューが出てこなかったのかも。

ただ、氏はイギリスの食について”うーむ、おいしかったあ”という実感に至らないのが普通だが、それはイギリス「料理」のまずさであって「食べ物」のまずさではないと言っています。

パブについて昔労働者階級とそうでない階級で入口が違う、というのを何かで読んだことがあり、また氏も本書の中で、研究社の「イギリスの生活と文化辞典」にもそう書いてあるが、実際氏はパブに行ってそういうことはない、と書いてありました。この旅行でガイドさんにも聞いてみたのですが、そういうことはないとのことでした。林氏によればサルーンと呼ばれるシートで飲むか、カウンターで立ち飲みするか、気分でどちらでも利用した、と書いてありました。ただその後「イギリス (読んで旅する世界の歴史と文化)」 -  (1992新潮社)を読んでみると、y酒井階層と教育の章267pにロンドンのパブの看板で「パブリックバー 左」「サルーンバー 右」と表示されている写真を載せ”暗黙に階級差を表す”とありました。また同じ本の料理の章にも、ビールを樽から汲みだして生で飲ませる酒場が「パブ」で、宿屋も兼ねるのが「イン」で、どんな小さな村にも1軒はバプがインがあり規模と種類は様々だが、出入り口は別で同じ酒でも値段が違うとの記述がありました292p。小さなパブでは区別がないのか旅行中には小さな町で食事が多かったので区別には気づきませんでした。

またイギリスビールですが、確かに少しぬるいですが、主にその地のビールを注文しましたが皆おいしかったです。ただ地ビール系の味が苦手な人には向かないかも。

英国フード記 A to Z -
英国フード記 A to Z -  2006.1刊
次に読んだのがこれ。英国びいきで毎年渡英している著者が英国フードについて紹介。巻頭にカラー写真もあり、ブラック・プディング、デザートにたっぷりかけてくれるカスタード、などおおこれこれ、となつかしく?見ました。朝食のイラストがこれまた実際にたべたものとそっくり。著者は英国フードについて、英国に行けば行くほど疑問がわいてきて「英国の味はあやしい」と書いています。また林氏とおなじく食感の悪さ、茹ですぎをあげていました。付け合わせ野菜のぐにゅぐにゅを書いていますが、今回の旅行ではニンジン、グリーンピース、ブロッコリーはいずれも冷凍ものを解凍したまま「素直に」添えられていて、これはこれで「えっ」という感じであります。

「マーマイト」 ブラック・プディングにつぐ特色ある食べ物では? これはイングランドでの朝食に出ました。向いの人がチョコレートと思ってパンに塗ったら「うううう」と言ったので、恐る恐るなめてみると、・・・おお。なんなんだこれは。イーストの濃縮食品であるらしい。トーストに塗るものですが。。
マーマイト 瓶入り 125g[正規輸入品] -
マーマイト 瓶入り 125g[正規輸入品] -  アマゾンで手に入る。ホテルでのはもちろん小さく一人分になっていた。

それでは、かのマッサンはどんな料理をかの地で、この地で食べたのかと思い
マッサンが愛したリタの料理レシピ -
マッサンが愛したリタの料理レシピ -  2015.3 を見てみました。
こちらはマッサンの妻リタと10歳ころまで一緒に暮らしたマッサンの孫の竹鶴幸太郎氏が、親交のあるシェフと再現した、リタさんのスコットランド料理集です。幸太郎氏にとってのお袋の味はグラスゴー出身の祖母リタの料理だといいます。リタの手書きのレシピや英国の料理本、切抜も載っています。

チョコレートファッジ:チョコレート、グラニュー糖、牛乳、バター、が材料。(英語雑誌の切抜が載っていました)
今回の旅行で、「Fudge」を売る店がたくさんありました。ウインドウに我が店のファッジの作り方、なんていうチラシとともに羊羹1本分位の単位で売っている店もありましたが、いちご味とかミックスタイプのものを買いました。簡単に言うと生キャラメルのようなもの。トフィーは日本のチェルシーのようなもので硬い飴。

ラベル:イギリス料理
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2017年06月21日

そこに僕はいた(辻仁成)

そこに僕はいた (新潮文庫) -
そこに僕はいた (新潮文庫) -  (初版は1992.2角川書店)

小学生から高校生までの18の出来事を綴る。父親の転勤に伴い福岡、帯広、函館と転校した辻氏、それぞれの地にそれぞれの出会いと出来事があり、語られる友と大人とそして僕は、セピア色の世界で実に生き生きとして、実に個性的。

辻氏は転校生であったが、また転校生もやってきて去って行った。鹿児島弁だったり壱岐島から来たり。また友達の家に行けば、「あんひとはゴサイやけん」と言われ家に帰って母親に「ゴサイ」の意味を尋ねたり、”不思議なことに黒沢のお母さんは家の中でも化粧をしていた”が、ほどなく黒沢の両親は離婚し黒沢は転校してしまった・・ などと子供からみた大人もなにか大人の事情が垣間見える描写だ。

「新聞少年の歌」と書名の「そこに僕はいた」は中学1年の教科書にも載ったようだ。どちらも小学校の中学年の頃の話だから昭和40年代前半の話。新聞少年と、右足が義足のあーちゃんの話。どちらも辻氏には未知の経験をしている少年と遊び仲間のあーちゃん。その理解できない部分の辻氏の心理描写が秀逸だ。「海峡の光」で書かれる私の心理描写とも通じるものを感じる。国語の時間には先生は「この時僕やあーちゃんはなんて思ったのか?」なんて授業で聞いたりテストに出したかも。

僕の記憶の福岡、帯広、函館と、辻氏手書きの絵地図が載っている。


そこに君がいた (新潮文庫) -
そこに君がいた (新潮文庫) -  2002.7

続けてこの「そこに君がいた」も読んだ。これも小中高のエピソードを書いたもの。これは平成6年にベネッセの学習誌「チャレンジ」に1年間同題で連載されたものに書き下ろしを加えたもの。何年生のチャレンジ連載かわからないが、従ってチャレンジの読者のおそらく小学校高学年、中学生あたりに向けたと思われる文体だ。

「そこに僕はいた」にも登場した社宅の隣の読書家のヨーちゃんも登場するが、悲しい結末だ。


音楽が終わった夜に (新潮文庫) -
音楽が終わった夜に (新潮文庫) -  (初版は1996.8マガジンハウス刊)

こちらは辻氏の結成したクバンド、エコーズの結成前夜から解散まで、バンド仲間、音楽についての思いを語る。大学時代のアルバイト先のジーパン屋でのバンド仲間との出会いのエピソードがおもしろい。70年代末から80年代のロックシーン、バンドブーム以前のアンダーグラウンドと言っていいか、ルイードやロフトやアシベなどのライブハウス出演の裏事情など興味深い。エコーズ、名前は知っていたが実は音を聞いたことが無い。これを読むと大阪厚生年金会館とか全国でコンサートをしていたようだ。しかも「そこに僕はいた」にも登場する弟がマネージャーになっていた。

また、小説家の奥泉光さんとブルースバンドを組んだ話が出てきた。それでなんと部屋の整理をしていたら、奥泉氏の「その言葉を」の文庫本が出てきた。
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2017年06月20日

海峡の光(辻仁成)

海峡の光 (新潮文庫) -
海峡の光 (新潮文庫) -  1997.2

「函館物語」に続いて「海峡の光」も読んでみた。

青函連絡船乗務員だった私は連絡船の廃止を前に刑務官へと転職し、そこでかつて私をいじめた優等生・花井を受刑者として迎える。刑務官と受刑者としての花井と私、交差するように小学5年から6年のいじめの光景が浮かび上がる。18年前とあるので私は30歳位である。時は廃航迫る昭和63年。物語は私の独白で進行する。

エリートサラリーマンとなったが傷害事件で受刑中の花井、またかつて優等生の仮面の下の残酷さにも気づいていた私。監視する者と監視される者のはずなのに、やはり花井の言動に支配されてしまう私。昭和天皇の崩御による恩赦で出獄の決まった花井に、かつて自分が向けられた言葉「強くならなければだめだ」と言い放つと・・・ 結局花井の呪縛から私はのがれられなかったのか・・・

物語を覆うのは、函館の街の風であり、眼前にある函館山と函館湾、津軽海峡である。実際に函館に行ってきたので、花井と私のにらめっこや勤め場所が無くなる事態に遭遇した乗組員たちの葛藤、という人間の感情のほかに、函館山中腹の自宅から見る海と山、消沈している飲み屋街、父の遭難した函館山裏の今は廃村になってしまった寒川村沖、という函館の地理が生命を持っているように感じる。この、街の息遣いこそ「海峡の光」の魅力であり読後の静かな余韻であると感じた。

そして、「そこに僕はいた」「そこに君はいた」などのエッセイを読むと、父親の転勤で福岡、帯広、函館と社宅住まいで転校した辻氏は、この物語の花井でもあり、函館に生まれ育った私も著者の分身であるように感じた。
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2017年06月18日

函館物語(辻仁成)

函館物語 (集英社文庫) -
函館物語 (集英社文庫) -  1996.1

4月に函館に旅行した。北海道新幹線で1泊だったが、五稜郭、函館山、青函連絡船の摩周丸、坂の教会群と、とても濃い2日間だった。2日め摩周丸見学の時この「函館物語」が置いてあった。摩周丸の後、教会群を見学していると坂の途中で「函館西高校」の看板?に出くわし長い坂を上がった上に校舎が見えた。その時これは辻仁成の出身校か?と思い帰って検索してみると果たしてそうで、さらに北島三郎も卒業生だった。

坂の教会群と昔の造りの残る木の家が坂にかかっている感じが神戸と似てるなと思い、かれこれ40年近くも前に行ったその青春時代の感慨も呼び起こされ、あのあたり一帯の雰囲気がとても気に入ってしまった。それで函館に興味が湧き、さっそくこの「函館物語」を読んだというわけだ。

この本の著者後書きは1996年6月で、著者が1週間滞在した様子がかかれてあり「私だけが持っているハコダテという異界へと皆さんを連れ出すために本書は書かれた」とある。

氏は中学3年から高校3年までを過ごしているが生まれ年から計算すると昭和49年から52年までである。今回の滞在で4人の函館人と対談している。漁業から「おがっと」(陸に上がり)になり密魚監視員となった方、青函連絡船に終了1月前まで勤務していた方、老舗バー経営者、啄木研究家だ。

文中これまで函館を舞台の小説は「クラウディ」「母なる凪と父なる時化」「バッサジオ」「ニュートンの林檎」と書いてきてこれからも書くだろう、という一文があった。「海峡の光」が無いな、と思ったら海狭の光は1996年12月に発表され芥川賞を取ったのであった。

遅ればせながら「海峡の光」も続けて読んでみた。青函連絡船を降りて函館刑務所に勤める主人公が、かつての優等生であった同級生を受刑者として迎える話である。小学生時の二人と、船を降りて函館に生きる主人公の葛藤が、人口が減って往時の賑わいが無いという函館の街を下敷きにして、なんともいえない余韻の残る小説だった。

で、「海峡の光」は、この1週間の滞在での4人との対談に触発されて書かれたのでは?と思った。あるいは「海峡の光」のための取材旅行だったのかもしれない。

また、読みながら地図があったらよかったのに、と思ったのだが、これも氏は最初入れようと思ったが、読者に自ら足を運び確かめて函館を感じて欲しいということでやめたとあった。

しかし・・ 1995年刊のエッセイ「そこに僕はいた」には「ぼくの記憶の函館」として、氏直筆の手書きの地図があります。


ラベル:北海道
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2016年12月01日

コピーフェイス(サンドラ・ブラウン著)

コピーフェイス: 消された私 (新潮文庫) -
コピーフェイス: 消された私 (新潮文庫) -  2016.11.1刊(原著は1990刊)

NHKTVドラマの原作本。ドラマがおもしろく原作も読んでみたくなり読んでみた。

主人公の夫?となる人物はドラマでは成形美容外科医だが本では議員に立候補しようとする名家の男性。美容手術にまつわる医院の疑惑がドラマでは鍵のひとつになっていて、これは原作と設定を変えたドラマのオリジナルとなっている。ドラマでは日本で受け入れやすいものにしたのだろう。原作よりドラマの方がおもしろかったし品よく仕上がっている。

NHKドラマ・コピーフェイス 2016.11/8から連続6回 栗山千明主演

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2016年11月14日

ファミリア創業者・坂野惇子(中野明)

ファミリア創業者 坂野惇子 - 「皇室御用達」をつくった主婦のソーレツ人生 -
ファミリア創業者 坂野惇子 - 「皇室御用達」をつくった主婦のソーレツ人生 -  2016.9

今期の朝ドラ、第1週の終りに見るとなにやら主人公は戦前のお屋敷のお嬢様だ。これじゃあ庶民感覚とずれて感情移入できないなあ、と思ったがなんと父親の会社はレナウンの大元になった会社と知って俄然興味が湧いて、さっそく関連本を読んでみた。残念ながらファミリアは名前は聞いたことがあるような気がするものの、子どもにはスーパーの安物しか着せなかった。3年前に孫のために買った産着は縫い目が外にあったからあるいはそれがファミリアだったか。

本は惇子を中心にファミリアの軌跡を要領よくまとめてある。これを読むとファミリアの成功は、本人たちの丁寧な商品作りとあいまって、いくつかの幸運が重なってできたものだというのが分かる。

まず、中心となる女性四人はいずれも裕福な生まれで、女学校時代に学校とは別に洋裁や絵画などを学んでいて腕に覚えがあった。中には既に洋裁を請け負っている者もいた。次に惇子は高級な生地を軽井沢の別荘に疎開させており、戦後の物資の無い時代にそれを活用できた。

そして人脈。ドラマにも出てくるが、父と父の会社の者と、お抱え靴屋と、それぞれの夫である。
まず第一には戦後になり「これからはお嬢様ではいけない、自分の力で仕事をし、一労働者になりなはれ」と助言した父の会社の尾上清の助言だ。そして父も、夫も妻や娘が働くことに賛成している。また他の3人の夫も賛成し、経理面などで最初から手伝っているのである。

最後には、軌道に乗せるまで、また乗った後の惇子たちの商品へのこだわりがファミリアを作ったといえる。

この夫たちの理解と、腕に覚えある四人の主婦、という点が重要だと思うのにまったくドラマでは描かれてないのでドラマを見る気が失せてしまった。なにより夫は店を始める前に帰還していて、夫が「いいじゃないか」と言っているのである。

坂野惇子 子ども服にこめた「愛」と「希望」 (中経の文庫) -
坂野惇子 子ども服にこめた「愛」と「希望」 (中経の文庫) -  こちらは歴史読本編集部編。上の本とほとんど内容が同じで言い回しまで同じところがあるが、コンパクトにまとまっている。


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2016年07月18日

「暮らしの手帖」とわたし(大橋鎮子)

【ポケット版】「暮しの手帖」とわたし (NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』モチーフ 大橋鎭子の本) -  

本人89歳の時に、子ども時代、暮らしの手帖を始めて花森氏が亡くなるまでのことを書いた。ドラマよりこの本に書かれてる事実の方がシンプルて面白く、本物の鎮子さんの方がものすごくバイタリティーがある。

大正9年3月10日、東京麹町の病院で生まれている。父は岐阜県で生まれ深川の材木やの養子となり、北大に進学し、麻を作る会社に就職。母は京都で生まれ小樽で育ち、なんと女子美を出ている。北海道の工場長として赴任した鎮子の父と小樽で出会い結婚。父亡き後は財をなした母方祖父のおかげで学校を出たとある。

職歴も日本興業銀行の調査課で経済などと銀行内の資料を作る所に配属。同期には男性15人、女性が10人位いたとある。その後、もっと勉強がしたいと銀行をやめた先輩に刺激され、日本女子大に入学するが風邪をこじらせ結核のようになり半年で退学。で日本読書新聞に入る。日本読書新聞が日本出版文化協会の機関誌を作るようになったため日本出版文化協会に出向。そこで終戦。

出征していた男性も戻ったが、「使われていたのでは収入が少ない、今まで女で一つで私たち姉妹を育ててくれた母や祖父に恩返しをしたい、自分は戦争中の女学生であまり勉強もしていない、私の知らない事や、知りたい事を調べて出版したら、自分より上下5歳位の人が読んでくれるのでは」ということで雑誌作りを思い立つ。

で、花森氏の紹介を受け、その思いを話すと「僕は母親に孝行できなかったから、君のお母さんへの孝行を手伝ってあげよう」とその日のうちに方向性が決まったとあります。また花森氏は「二度と戦争にならないよう、自分の暮らしを大切にするようにしたい、みんなにあったかい家庭があったら戦争にならなかったを思う」と語ったとある。なんと花森氏は大政翼賛会にいたのであった。ここが衣・食・住、あの暮らしの手帖の原点なんだ、あのどこかかたくなさを感じる誌面はここであった。
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2015年11月23日

君の膵臓をたべたい(住野よる)

君の膵臓をたべたい -
君の膵臓をたべたい -  2015.6

なにやら物騒な題名が店を入ったところに並べられていた。最初のページを読んでみるとクラスメイトの死から始まって、その男子高校生の独白の文体がとても興味をそそる。最初のページで、その男の子は、細身で、本好きで、クラスでもあまり人としゃべらず、机にじっと座って、帰宅部でと、とても好感をいだいてしまった。仕事が忙しくてこんな本読んでる場合じゃない、と思い2,3週間我慢していたが、この連休ならと買って読んでしまった。

オビには「涙」の文字、えい、その手に乗るものか、と思ったのだが最後に意に反して涙がでてきてしまった。もうじき還暦を迎えるというのに、読んでる最中は気分は高校生になっている。でもって後半はYOUTUBEで60年代から70年代のポップスを流しながら読んでしまった。

出てくるのは、余命いくばくもない女子高生桜良と、その秘密を知ってる僕とクラスメイトたち。なんというのだろう、僕の表現の「秘密を知ってるクラスメイトくん」とか「地味なクラスメイト」とか「仲良し」とかの主人公たちの現わし方がとても効果的だ。この僕と僕から見た桜良の心理描写だけで成り立っているようなものなのだが、僕の心理がなんともういういしい。

作者のプロフィールはよく分からないのだが、web上の作品が活字化されたもののようだ。
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2015年02月23日

火曜クラブ(クリスティ)

火曜クラブ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) -
火曜クラブ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) -

BSのマープルにはまりこの短編集を読んでみた。マープルほか小説家で甥のレイモンド、女流画家、前警視総監、牧師、弁護士の6人がマープル宅に集まり自身の知っている事件を話し、それぞれが犯人を推理するというもの。1人1話で後半はメンバーが前警視総監、大佐夫妻、女優、セント・ミード・村の医者になっている。テレビではあまり目につかないのだが、マープルはセント・ミード村に住んでいてその村の出来事にひきつけて各人の語る事件の犯人を言い当てるのである。この短編を読んだことでよけいドラマがおもしろくなった。おいそれと年をとっているわけではない、身の回りの出来事に人生の機微があり、様々な人間の悲哀をその目の奥にためこんでいる、といったところがとてもおもしろいのだ。これは自分でも年をとったせいかもしれない。

ドラマの面白さは本と違って視覚的に舞台となるイギリスの村や屋敷や調度品、そして特に女性のファッションが目の当たりに示されるところだ。これはホームズのドラマも同じだ。で特にこの短編では、発表が1932年ということなのだが、物語の設定も同時代か。マープルはいわゆる上流階級に属している。「気の利かないメイド」「私たちの社会階層」などという言葉がよく出てくる。そこで「コンパニオン」という言葉が出てきた。これはここで初めて知った。どうも女主人の話し相手らしい。で調べて見ると「レディ・コンパニオン」といって「上流または富裕な女性に雇われ、そのお相手をする生まれ育ちの良い女性のこと。」らしい。

また、遺産相続の話も出てきて、遺産を相続できる相手と結婚できるか否かが事件のカギになっていたりもする。おりしもピケティ氏が「ゴリオ爺さん」で遺産のある相手との結婚で、資産と所得の歴史的見解を述べているが、この小説でも目の当たりにしたというわけだ。ゴリオ爺さん、読んでませんが爺さんの舞台は1819年のパリだそうで、この1930年のイギリスはまだ遺産があったということですか。なにかイギリス社会、特に階層社会に興味が湧いてきました。

アガサ・クリスティーのミス・マープル DVD-BOX 1 -
アガサ・クリスティーのミス・マープル DVD-BOX 1 -  今TVでやってるのはこのジェラルディン・マクイーワン。残念なことにこの1月にお亡くなりになったそうだ。

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2014年12月30日

ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー)

ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11) -
ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11) -  村上春樹訳

BSのドラマを見て面白かったので、ドラマ2回目あたりで読んだ。ドラマでは浅野忠信演じる探偵と、綾野剛演じる男、二人の友情を頑なにまっとうせんとする二人の不器用な男はあくまでかっこよく、そして小雪はあくまでミステリアスに、このハードボイルドといわれる世界をどっぷり描いていた。

かたや原作の小説。ドラマとはいささか登場人物の印象はちがう。綾野演じたマーロウも小雪演じる妻のシルヴィアもえっ、そうだったの、とかっこよさは無い。マーロウだけは浅野の演じた探偵とタイプはいささか異なるが、ひとり私立の探偵業で生活の糧を得ている己の信念に基づく生活スタイルを貫く渋い男、であった。

また、英語の文体というのは、こうも物事を描くのに修飾、いや日本語とは発想がちがうんだな、というのを感じる世界が広がっていた。解説で村上春樹が「グレイト・ギャツッビー」との相似として、テリー・レノックスがギャツッビー、マーロウは語り手のニック・キャラウェイだと書いているが、それ以上に、ギャツビーと似た言い回し、文体を感じた。別な言い方をすれば回りくどい。ただ英語の小説がみんなそうかというと、つい最近読んだクリスティはそうでもないから、やはりチャンドラーの世界なのだろう。で、その長々とした文体がこの小説の魅力となり、探偵マーロウと渾然一体の世界を作っている。まあかっこいいセリフをマーロウに話させている。小道具はギムレットですね。p33、586、588

BS「ロング・グッドバイ」

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2014年08月17日

昭和40年代ファン手帳(泉麻人)

昭和40年代ファン手帳 (中公新書ラクレ) -
昭和40年代ファン手帳 (中公新書ラクレ) -  2014.6.10発行

”同級生”泉麻人氏による編年体の昭和40年代への書き付け、メモ、思い出、エッセイ。この本の企画が、ホンモノの高校の同級生、石破茂氏との中央公論誌上での「同窓会」をテーマにした対談からだそうで、巻末に一部抜粋が載っている。高校2年時同じクラスだそうで、連日政府の弁明?をしている石破氏と、アサイ、イシハと呼び合いアイドル談義で盛り上がっている。これがまたおもしろい。なにか石破氏も身近に感じてきた。

昭和40年の1月から昭和49年の12月まで、同級生的には、小学2年の3学期から高校3年の2学期まで、1年につき7つ位のエピソードをもとに書かれている。ここは網羅性のある泉氏のこと、事柄については新聞縮刷版も参照し、なにより小学4年から6年まで毎日つけていたという日記も基になっている。なので日記が引用されているところはとてもリアルだ。東京新宿区と北関東の田舎という違いはあっても、小学生時分の出来事に対する感覚はそう違いは無い。酒びんのフタ集め、なんてのもが東京でも流行ってたとは知らなかった。6年の秋頃かと思っていたが44年始めとあり、さらに5/11付け朝日では「酒ブタ遊び、東京と近県の子供たちの間で大流行しているこの変わった遊び・・」と引用されていて氏は中学に入ってもまだ続いていたとあるが、私の小学校では少したつと禁止されピタッと終わってしまった記憶だ。また氏の住んでた中落合は学生時代の下宿先の下落合のすぐ隣とあってまた親近感が湧く。

大きく違うなと感じたのは中学生からだ。だいたい3年泉氏が先を行っている。泉氏は中学1年1学期から深夜放送を聴き始めているのだ。中間、期末の試験勉強で聴き始めたとあるが、自分は中3の三学期あたり高校受験の時からである。72年になり高校になるとかなり積極的に”外タレコンサート”に足を運び6月シカゴ、7月ELP、73年イエスと行っている。こちらは田舎で新聞のコンサート評を見て指をくわえて大学は絶対に”東京に”いかねばと決意を新たにしたのだ。おまけにディスコにも行っている。こういう付属の輩と大学で合流したわけだ。

同級生的には、まさに子供から青年、成長期である。これがこののちの10年単位となると、50年代、それ以後はあっというまのひとくくりだ。読む人の生年にもよるだろうが、定年もまじかなこの時期に回顧する40年代=成長期、なんとセピア色でしかもすぐ隣の感覚なのか。

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2014年04月25日

朝露通信(保坂和志)

読売新聞朝刊連載の「朝露通信」がおもしろい。毎朝楽しみである。昨年の11月に始まったらしいが気づいたのは3月下旬。ふと目にすると鎌倉の長谷観音あたりでの幼少時代の事が綴ってある。たしかホサカ氏とは学年が同じだったはず、と思い、何よりもその1週間前に舞台になってる長谷観音、大仏、鶴岡八幡宮、江の島と鎌倉黄金ルートをハトバスでめぐってきたばかりだったのだ。なので書かれてる道筋がくっきりと読んでて頭に思い浮かべることができて、いっそう面白くなった。

文が「、」が続いていつ終わるともしれないのが最初読みずらかったがそれも慣れてきて、最近はこの文体は中身にすごくあってるのではないかと思えてきた。保坂氏のホームページを見ると、読売連載開始にあたっての記事が載っていてそれには、記憶の小さな断片を書き、それで読者自身の記憶を喚びおこす、そして読後この小説は朝露のように消え去り、読者自身の幸福な記憶が残る、それが理想だ、と書いてあった。

まさに朝一回の記事が、サトイモの葉の(氏は蓮と言っている)丸く盛り上がった朝露の集まりのようである。連載では保坂少年は行きつ戻りつしてるがおおむねひとケタの子どもである。それは1960年代、昭和35年から40年代前半。今の鎌倉とはちょっとちがった昔の漁村といった感じさえする空気があり、それは自分の育った町の記憶とリンクして、まさに読者自身の記憶を喚びおこしている。

しかし保坂氏、ホームページの写真をみると、正に同年代の普通の男性の外見を体現している。職場の同期の男性そのもの。

保坂氏ホームページ

挿絵の熊井正さんのページ なんと挿絵は原画はカラー。いいです。新聞の白黒とは別物のようだ。

2014.10.24単行本が発売されました。(中央公論新社)
朝露通信 -
朝露通信 -  
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2013年06月13日

偉大なギャツビー(フィッツジェラルド)

偉大なギャツビー (集英社文庫) [文庫] / F・スコット・フィッツジェラルド (著); 野崎 孝 (翻訳); 集英社 (刊)

CMでディカプリオの姿を見て、久しぶりに映画館で映画をみたいなという気分になり、それでは観る前に原作も読んでみようとという気にもなる、久々に何かに興味が湧く感情が起きたのでした。読むなら村上訳かなあなどと思いましたが本屋に行くとこれだけが映画化された本コーナーにあって値段も500円、なんだかとにかく一日でも早く読みたかったのでこの野崎孝訳で読んでみました。

翻訳ものを読むのは10年ぶりくらいではないか。最初の出だしからなんだかつらい。この文はこの言葉にかかる修飾語か、などと思いながら読む。それがずっと最後まで続く。その修飾の具合が、日本文ではほとんどしないだろう、という発想だ。これが文化の違いというものか。しかもちょっと検索してみるとそれは比喩というもので、美しい文体なのだという。きっと英語で読むとその文体というものを感じられるのかもしれない。

文体の障害はあったにせよしかし、ほぼ2日間で一気に読んでしまった。今に残る古典であるからしてやはり惹きつける何かはあるのだろう。読んだ直後は、ギャツビーの昔の恋人への未練は、う~んよくある恋愛のパターン、しかも男性目線のね、といったものだし、その恋人の女性は、こんな女が好きなのかい?とまったく魅力的でない。しかし、読んでしばらく経つと、隣人ニックの語り手から醸し出される、「雰囲気」「空気」が心に残る。そしてそれはやはりギャツビーの遺した生き方なのだし、ニックの中でもずっと心に留まる出来事として、ニューヨーク、ロングアイランドといった風土とともに人生の中で残ってるように、読み手側にも静かに余韻が残るのだろう。

それは最後に、ニックが、「いまにして思えば、これは結局西部の物語であった」と語るところが、心に残る余韻の部分である気がする。主要な登場人物は皆中西部の出身で、それが東部へ出てきて、その違和感がこの物語なのだ、とニックが回想する所だ。読んでる者はギャツビーではなくニックに同化する。人物は風土の中の点になる。またアメリカでも田舎者都会へ行く、的なものがあるのかと発見があった。

と、小説としての感想はこんなものなのですが、読んでる間中、ロバート・レッドフォードとミア・ファロー、そしてディカプリオの顔がずっと浮かんでいるのです。

文中には当時のアメリカの階級とか、人種への感覚とかがさりげなく書かれていて、そういう事を知るのも外国文学を読む効用でしょう

ニューヨークの英語の先生と一緒に読もうグレート・ギャッビー 文章の意味をアメリカ文化とからませながら説明しています。読んでてわからなかった所も明らかに。

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2012年07月22日

夕陽カ丘三号館(有吉佐和子)

夕陽ヵ丘三号館 (文春文庫) [文庫] / 有吉 佐和子 (著); 文藝春秋 (刊) 2012.2.10

有吉佐和子の名作復刊第二弾ということで平積みになっていた。ぺらぺらめくるとおもしろそうだったので読んでみました。

一流会社の社宅に繰り広げられる、奥様方と息子とついでに夫の生態を描く。読んでいると、作者佐和子氏はどこか覗き窓か望遠鏡で各部屋を観察しているような雰囲気がして、読んでる者も一緒に覗いているような感じになる。主人公の主婦・音子に一体化はしない。

解説が無いので、全共闘、教育ママという言葉と、カラーテレビがある、などの言葉から時代設定は70年前後かな、と思ったが時代設定にかかわりなく、自分の息子の成績と夫の出世に一喜一憂する主婦・音子の言動・言葉は現在でもあてはまる部分があると感じる。これは専業主婦でなくとも勤めてる妻・母でも多かれ少なかれ持つ感情ではある。ただ専業主婦だと勢い昼間の8時間を目いっぱい息子と夫の事に投入できるので、この小説のようなことになるのだろう。しかしここでは妻は息子の成績と夫の出世によって評価される。評価というより、自分が気持ちよくなれる、ということか。妻自身は仕事をしていないので成果は息子と夫でしか現れないのだ。

オスはメスを選ぶのに子孫を残せそうなメスを選び、メスは木の実や動物を倒せそうなオスを選ぶ、ということが竹内久美子の本だったかに書いてあったような気がするのだが、”木の実をたくさんとってくる一流会社勤めのオスをめでたくGETした妻たち”という図を思い浮かべてしまった。しかし社宅に住まざるを得ないところがミソである。

調べてみると、1970年4月~12月に毎日新聞に連載され、71年に新潮社から単行本。71年10月~3月までTBS日曜9時からドラマ放送されたようだ。子供が6年で、夫は戦争に行っており、妻は女学校を出た設定だ。とすると夫は大正10年代生まれで妻は同じか昭和ヒトケタの生まれの設定になる。・・自分の家族と同じような感じだ。ドラマでは音子・八千草薫、夫・山内明でまさしく予想設定通りの生年の人だ。
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2012年06月24日

歪笑小説(東野圭吾)

歪笑小説 (集英社文庫) [文庫] / 東野 圭吾 (著); 集英社 (刊) 2012.1.25

「小説すばる」に連載の短編が文庫化。
編集者の青山、仙台在住小説家・花房百合恵、『撃鉄のポエム』で新人賞をとり映像化の話がある・熱海圭介、次の年の受賞者・唐傘ザンゲ、46歳で窓際族にされ新人賞に応募する・石橋、引退宣言をした忘却の作家・寒川、定年まじかで市役所をやめ小説1本にしぼった・大川、これらの人々が織り成す悲喜こもごも。短編同士が全体で一つの流れになっている。それぞれのつながり方もおっとニンマリする。テンポのよい進み方で読み出したら止まらない。ヒット作連発の東野氏だが、それぞれの登場人物に与えあられたポジションは東野氏の分身ともとれ、作品を生み出す苦労は並大抵ではないんだろうなと思いつつ、小説家や芸術家でビッグネームになる人の周辺には幾多の埋もれる人がいる現実が身にしみる。

少し前に読んだ「黒笑小説」は黒いだけあって、笑いがより辛らつだ。「歪笑小説」の方は登場人物の新人達を成長させている。巻末に熱海と唐傘の未来の小説紹介を載せるというオマケまでつけ、小説家として見込みがあるヤツをひとりふたり作りだしている
黒笑小説 (集英社文庫) [文庫] / 東野 圭吾 (著); 集英社 (刊) 「黒笑小説」2008.4.25文庫 2005単行本
こちらにすでに唐傘ザンゲ、熱海圭介、大川、寒川が出てきており、受賞内幕がかなりブラックに書かれている。
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2011年08月28日

履歴書代わりに(吉村昭)

履歴書代わりに [単行本] / 吉村 昭 (著); 河出書房新社 (刊) 2011.6.30

新聞や雑誌などに寄せていて未刊行だったエッセイを収録した。津波の本でここのところ脚光を浴びている吉村氏。たぶん「三陸大津波」を読んでいなかったら、この本も手に取ることはなかっただろう。なにかそれほど「三陸大津波」は強烈で、吉村氏の人となりに興味を持ったのだ。

収録は24編。いろんなことに興味を持ち、かつそれを現場で調べる人なんだなあ、というのが分かる。アニメの制作現場、税関の通過現場、ダムの工事現場等々。以外なのは競馬好きなこと。あとは青春時代をかいた最後の「私の青春」と20代での結核治療でろっ骨を取った話など、どれも興味深かった。昭和2年生まれ、なので自分の親の世代である。が読売新聞に連載された「私の青春」などは、初々しい青年がそこにいる感じだ。戦争に重なるせいもあるが、2階の物干し台で米軍のパイロットの顔が見えたとか、また母の死後父の面倒を見た女性の表現が「女」となっているなど、少年の心情が表れている。
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