2013年01月19日

田中一村の眼展〜写真が語る一村像(とちぎ蔵の街美術館)

田中一村の眼展チラシ 2012.12.22-2013.1.20

「田中一村の眼」展を見てきました。写真好きだった一村が奄美で撮った写真56枚と、奄美で亡くなる直前に親交を交わした田辺周一さんが一村宅を訪れた際の写真15枚や一村の遺品が展示されていました。

先週、地元紙にこの展覧会に関連して、田辺周一さんの講演会の記事が載って初めて開催しているのを知り、終了1日前に間に合いました。田辺周一さんは、H18年夏に奄美へ行く時HPを見つけ随分参考にしました。そのHPには、親友が流れついた?奄美で田中一村を知り、お前もこのただならぬ老人を見にこい、と言われもう一人の友人と77年に奄美まで一村に会いに行った時の様子が写真とともに載っています。そのページはそのまま77年にタイムスリップしたかのように、若者3人と一村の出会いが存在して、その出会いがとても強い印象であったことが伝わってきました。

今回の展覧会はまず最初に、田辺さんの撮った77年の一村宅の様子15枚があり、それはHPで何度も見ていたものですが、大きく引きのばされており、その時の様子が暑さとともに伝わってきます。続いて一村の撮った写真と、父・稲村の彫刻、一村が千葉時代に生活のために彫った彫刻や、奄美で着用していた着物や自分で織ったという大島紬、カメラ、筆、絵具などが展示されています。紬は一村が仕事として紬を織ったものの売り物にはならず自分で着用していたものということで、葬儀のあと、すでに奄美の廃棄物処理場に行ってしまっていたものを田辺氏の友人が拾い集めたものでした。今となっては一村の息吹に触れる貴重な遺品です。

一村の写真はアダンやソテツ、村の様子など。自分で写真にとり、絵画制作に利用していたようです。写真を見ると、奄美に行った時の海岸のアダン群がよみがえってきました。何枚ものアダンやソテツから、懸命に己の絵と戦った一村の生きざまが伝わってきた展覧会でした。

田中一村の眼展チラシ裏 チラシ裏 

田中一村の眼展図録 図録「田中一村の眼〜写真が語る一村像」21cm
 図録も買いました。写真、年表と田辺周一さんと学芸員さんの文が載っています。田辺さんのはHPの文がより詳しく載っています。この表紙の写真は今まで漫然とああ、着物を着てる一村だなあと見ていましたが、よく見ると今回遺品で展示されてた大島紬と柄が似ていて、実際旅行で大島紬を見てきたので初めてこれは大島紬にちがいないのではと思い至ります。若い写真なので奄美に渡ってすぐの頃と思われ遺品の自作紬とはちがうでしょう。

田辺周一さんのサイト
蔵の街美術館

H18年の奄美旅行 一村の家 拙ブログ

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2010年09月12日

田中一村・日曜美術館

9月12日の日曜美術館。千葉市美術館でやっている田中一村展の紹介だった。
館長さんと、一村の遠縁、川村不昧さんがゲスト。
いつもながら姜尚中の語りが好ましい。アナウンサーのサポート進行もよい。背景の生け花がくわずいもで横長の水色の水槽があり、一村の絵をモチーフにした心にくい演出。

館長さんも、最初は一村の絵のデザイン的なところに惹かれたが、実際奄美に行って自然と風土に接すると、描かれている植物が人格をもっているように感じ出したと言っていた。これは自分でも実際奄美に行って、その自然、海、植物、家屋、とか体感すると、また一村の絵により情念を感じるところだ。

また奄美在住の写真家の方が、「くわずいもとそてつ」を描いた場所は、奄美では聖なる場所なので、絵をみると恐いのだ、と言っていた。その今は遺跡となっている風葬の場所からの視点なのだ、と実際画面で紹介されていたのも興味深かった。

また千葉時代の、最後の官展に懸けて落選した絵が写真として残っていたのも紹介され、その写真を撮ったゲストの川村さんの話も臨場感があった。

しかし一村の展覧会は、東京の公立美術館では開催されてないのだなあ。


今までのページでリンク切れなどになっているのがあったので、ここに再度まとめてみた。

奄美大島田中一村記念美術館 
田辺サイト 77年に一村に会った田辺氏のサイト。一村との写真やエピソード
千葉田中一村ファンの会 
奄美大島観光ガイド田中一村 奄美在住の方の田中一村関係奄美の見どころ紹介
白翔画廊 田中一村の項目

千葉市美術館 田中一村 新たなる全貌展 2010.8.21-9.26
奈良県立万葉文化館 生誕100年記念田中一村展 2009.10.18-11.24
大丸札幌 奄美を描いた画家田中一村 2004.5.12-24
栃木蔵の街美術館 田中一村の世界展 2006.10 拙ブログ
日曜美術館 2010.9.12放送

田中一村についての本
ADAN [DVD] 榎本孝明主演の田中一村の映画アダン 拙ブログ記事





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2006年10月15日

田中一村の世界展・栃木蔵の街美術館

totigitanakatike 栃木蔵の街美術館でやってる「田中一村の世界展」を見に行ってきました。

totigi1 会場はこの3棟続きの蔵の中でやっています。栃木市は江戸時代、日光への例幣使街道の宿場町、巴波川(うずまがわ)の舟運の商都として栄え蔵がたくさん残ってます。この蔵を利用して町興しをしていてこの美術館は200年前に建てられた「おたすけ蔵」という蔵だそうです。

入り口をはいると奄美時代の作品、チケットになってる「奄美の杜8ビロウとブーゲンビレア」チラシの「草花と蝶」、「パパイヤと高倉」「海辺のアダン」など大物が迎えてくれました。夏に行った奄美の一村美術館とはまたちがって、蔵の中でみるとまた雰囲気が違います。

次に千葉時代の「秋色」という秋のつる草などを配した昭和20年代の作品があったのですが、それにすでに奄美での作品の構図がみてとれたのが興味深かったです。奄美でみてはいたのでしょうが狭い空間でみたのでより強く感じたのかもしれません。あとは小品ながら「足摺狂涛」(昭和30年)がよかったです。コバルトブルーの波が高波か津波みたいにふわっと高くなって飛び散る様なのですが、東山魁夷の唐招提寺の障壁画「山雲濤声」を思い浮かべました。昭和51年に完成されたこの絵を一村は新聞で見て東山の波からは音が聞こえないと言ってるのです。この自分の絵を思っていたのでしょうか。

蔵という空間はおもしろいのですが、作品のため照明が暗くなっていてすこし息苦しさを感じました。

totigikuratanaka チラシ
タグ:田中一村
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2006年07月22日

一村の植物

dc0717107.JPG アダンの実は食べられるそうです
amami10oohama 大浜海浜公園で。
dc0717224.JPG クワズイモ。街中にも生えている。
amami11sidaシダも種類が多い
dc0717167.JPG 金作原のタニワタリ
amami12hamayuuはまゆう
dc0717240.JPG 大熊展望台からみた立神
dc071751.JPG 名瀬のビロウ並木











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一村の奄美

今回の旅行の目的でもある田中一村ゆかりの地です。金作原の後特別にガイドコースに入れてもらいました。旧道を通り本茶峠を越える。
dc0717228.JPG 名瀬の東の有谷地区に残る終焉の家。ずっと住んでいたのはこの地より少し下の方だそうです。区画整理になって面影は残っていないとのこと。今はけっこう家がありますが当時はあまり家はなかったそうです。
dc0717238.JPG 一村が通った紬工場のある大熊(だいくま)集落。名瀬のすぐ隣なのにこじんまりした漁港。
dc0717231.JPG一村が通っていた久野紬工場の跡地。区画整理になってますが場所と道はそのままだそうです。ガイドの方は子供のころ裸のおじさんがいるという記憶があるそうです。

dc071753.JPG一村の絵を世に出すきっかけを作った宮崎氏の勤めていた奄美シーサイドホテル。右が山羊島。奥は名瀬港。道は名瀬と大熊を結ぶ旧道。旧道の左はトンネルで奄美ではトンネルを作るたびに海を埋め立てたということで、古い防波堤が地面に生えてました。
dc071755.JPG 現在もある和光園。右の山には今はトンネルが抜けて地図でみると名瀬に抜けている。昔は行き止まりの地だと思う。
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2006年07月16日

奄美大島3

<3日目>
3日目はレンタカーを借りて名瀬にもう一度行きました。
名瀬・「奄美博物館」民俗・自然コーナーがありコンパクトにまとまっています。自然コーナーは奄美の黒うさぎやアカショウビンの剥製もありました。

この旅行をするのにガイドブックを見て初めて島尾敏雄が奄美と関係のあったことを知りました。随分前にテレビで放映された映画「死の棘」がけっこうおもしろかったので名前は記憶にありました。
島尾敏雄コーナーがあり詳しく展示されてました。加計呂麻島で特攻隊の待機中に終戦を迎えそこで教師をしていたミホと知り合い結婚。ミホ夫人との経緯が「死の棘」に描かれているのですが、島尾氏は昭和30年に鹿児島県立奄美図書館長として赴任し昭和50年に去っていますが(ちょっとうろ覚え)、ちょうど田中一村と同じ時期を奄美で過ごしたんだなあと思いました。本も書くし館長としての仕事はあるしなにか田中一村と対比的な奄美での生活です。
島尾氏も生まれは横浜ながら奄美に魅せられ「ヤポネシア考」なども著しています。そういう魅力が奄美にはあるのでしょうか。

「大島紬村」
午前中しか時間が無いので手ごろな施設というので行って見ましたが、説明するガイドさんがいて一村がやっていた染色がどの工程なのかもよく分かりました。柄は最初ハブの柄かと思っていたらソテツを図案化したものが伝統柄なのだそうです。しかし地色ははぶに似ている。モダン柄を鏡に当ててみたらけっこういいかもと思いました。大島紬の工程

dc0717278.JPG 奄美空港。向こうに見えるのは喜界島。
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2006年07月15日

奄美大島2

<2日目>
dc071729.JPG太平洋から昇る朝日。
amami6oohama大浜海浜公園。東シナ海。なんという青さ!
dc0717173.JPG いざ「金作原原生林」へ
amami7sidas
ここがシダスポットですよというガイドさんの声で、おおガイドブックの光景が。。 本だと平らに見えますが向かって右は崖になっています。
dc0717196.JPG 幹の右に黄緑のトカゲ。散策最後には2匹のマングースが道を横切りました。はぶ退治のため持ち込まれたそうですが森の生態系をこわすということで捕獲には懸賞金がついているとか。
amami8higasisina 東シナ海。太平洋側が台風で大波でも東シナ海側は穏やかというように海のご機嫌は異なるということです。
amami9basyayama
芭蕉布の原料になる細やしの木。沖縄に出荷したりしてお金になる山なので器量のよくない娘を嫁に出す時に「馬車山をつけるからもらってくれ」と言って隠語で見てくれの悪い娘の事を言うそう。器量よしは持参金無しでよくて「きゅら」というそうです。まったくねぇ。。
dc0717272.JPG 温室のマンゴー。左にたれてるのは小さいですが大きいマンゴーより味が濃くてこちらもおいしかったです。

お昼は「ひさ倉」で奄美名物「鶏飯(けいはん)」を食べました。白いご飯に鶏肉や卵などの具をのせ鶏のだし汁をかけて食べる、いわば鶏肉茶漬けみたいなものです。


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2006年07月14日

奄美大島に行ってきました1

映画「アダン」を見て奄美に行きたくなってさっそく行ってしまいました。
7月14,15,16と本州は雨だったようですが奄美は晴れ渡っていました。
奄美空港が空からみえると海の青さにびっくり。
<1日目>
dc0717109.JPG
 奄美空港14:20着 まずは空港から5分の奄美パーク・一村美術館へ。植え込みに華道の高級花材が咲き乱れ南国にきたことを実感。
dc0717102.JPG 展望台からみた一村美術館。幼少〜千葉時代、奄美での作品の3部屋に分かれています。作品は時期によって入れ替えするので展覧会場での方が一堂に見られますが奄美で見る、という実感。最初に見るより観光の最後に見た方が植物などよくわかったかも。
dc0717113.JPG
 笠利町のホテルのすぐ前の海。太平洋。島の北部はサンゴ礁に囲まれてます。午後6時頃。奄美は関東より時間が1時間ずれてるので日没は7時頃でした。
dc0717114.JPG浜でみつけたヤドカリ
dc0717123.JPG オカヤドカリだと思うのですが。天然記念物らしいです。これも浜にいました。
dc0717133.JPGおお、アダン! 浜の斜面にたくさん生えています。
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2006年05月23日

田中一村豊穣の奄美(大矢鞆音著)

田中一村 豊饒の奄美
田中一村 豊饒の奄美
2004.4 大矢鞆音著

著者は日本放送出版協会勤務だった方。父兄弟が日本画家という家で育ち画集・田中一村集の編集に携わってからずっと一村とかかわり続けている。昭和59年12月の「日曜美術館」での初放送での反応、栃木から東京四谷に出てから、千葉寺時代、奄美時代を資料や関係者との聞き取りなどで丹念に調べ上げている。

一村の死後2年たった昭和54年、有志で名瀬市で展覧会が催されたが、
昭和59年の「日曜美術館」での反応はすごかったらしい。この番組が一村を知らしめるきっかけになったのだが、番組が終わるやNHKには一般視聴者からの問い合わせが殺到したらしい。そしてこの番組を見た大矢氏も強いインパクトを受け「本物の作品を見たい」「できれば出版してみたい」と思い次の日には担当ディレクターを訪ねている。

番組は鹿児島放送局の制作で、奄美の自然番組を作った時、あわせて田中一村のも一本作り九州で放送され評判がよかった。それで全国放送しようと東京に企画書を送ったが全国放送されるまで5年の月日を要した。それは製作ディレクターが美術畑でなく社会畑だったこと、田中一村がまったく無名だったことによるらしい。最後のプロデューサーが「おもしろそう」と判断して日の目を見たようだ。美術畑でない人が作った番組なので通常の日曜美術館とは趣が違ったらしい。ドキュメンタリータッチでかえってそれが新鮮だったようだ。

ところが美術専門家からは反応ゼロ、美術情報誌からは「あれは美術でなくイラストでありデザインだ」との抗議。商業主義と結びついた何かがあるのではとの抗議。しかし作品集出版にあわせて本物の作品をもって巡回展をしたいという声が関係者と視聴者の間で高まりついに昭和60年9月から大阪高島屋を皮切りに10会場、さらに63年7月から奄美大島など3会場。さらに平成3年4月から10月に4会場をめぐり第一次展は終了。そして平成7年に「アンコール展」として19会場。私が見たのはこの平成7年だったのがわかった。テレビも異例の再放送がされた。

新聞・雑誌も巡回展評はおおむね好意的であった。そして平成5年には美術の教科書に載った。そうだ、この美術の教科書は子供が使ってたもので新学期なにげなくみてたら確かエビの着色素描が載っていたと思う。そして平成13年に「田中一村記念美術館」の開館。

とこう見てきて、あれ、篠田節子の「賛歌」と流れがまったく同じではないか。美術と音楽の違いはあるにせよ作品に感動した門外漢の制作のテレビ番組が反響をよび、専門家に無視され、音楽・美術は作品が勝負なのに芸術家の数奇な運命が作品の価値を高めるのか?といった問い。「賛歌」の方は最後にある設定があったという落ちになっているが、最後にディレクターに「でもぼくはあの演奏に感動したんだ」と言わせてる。

絵とか音楽とかというのは生みだされるのは作家の創作意欲が源泉だが、作品は観客あってのものなのではないかと思った。作家の人生とかいろいろあるけどやはり人は作品の力に感動するのではないか。私自身計3回も放送された日曜美術館は1度も見てないし、展覧会場で一村の年譜は読んだかもしれないが会場での絵の迫力に圧倒されたのである。また蔵の奥深くしまいこまれては作品は無いも同然だ。しかし日の目をみるのはその専門界、ジャーナリズム、マスコミ、作家以外の人の判断(批評)に左右される。そのきっかけを早くつかめる作家とそうでない作家がいる。

田中一村記念美術館 一村の作品はゆかりの人約10軒ほどの家に所蔵されていたという。何人かは公立美術館に収蔵を頼んだが断られたという。大矢氏など作品を公的な場所に集めて作家研究ができるようにしたいと思っていたところ鹿児島県の観光課が動いたという。こういうのって「人」なんだよなあ。

ニライカナイ田中一村 晩年の一村の写真をとった田辺周一さんのページ
田中一村の遊引
田中一村超マニアックスコース
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2006年05月22日

アダン(映画)





見てきました。絵や本から自分でイメージしてた一村像が崩れるのではと、新聞広告の写真(HP扉と同じ)から思ってたのですが、試写会などを見た方の感想を読んだらよさそうかもと思い見ることにしました。

これは「アダンの魂」という題でもいいかと思う位一村の内部に迫ったものでした。一村の創作への魂の叫びがスクリーンから発散してるようでした。
写真でみる一村は長身痩躯なのですが榎木孝明は13Kgも減量したとかで晩年の頃はイメージ通りの姿でした。これはドキュメンタリーではなく一村という人物のフィクション映画だと解説にありましたが、よけいなエピソードを落とし一村にだけ見える少女「アダン」を登場させたことも、よかったのだろうと思います。

写真と絵からは一村は言葉少ない静かな人というイメージを抱いていたのですが(アダンの向こうに広がる灰色の海や、奄美の植物と鳥の画面からはなにか音の止まった亜熱帯の一瞬が静止している感じがする)榎木さんのは思い切り感情の激しい一村でした。最初は戸惑いましたがみてるうちになじんできました。パンフをみるとやはり奄美を訪れ一村を知り、演じてみたいと思ったようです。ドキュメンタリー映画にしろ他人の目を通して描かれる個人像になるわけだから、このアダンは田中一村物語として一村の絵に対するほとばしる情念を描くのに成功してると思います。

奄美行き前のロケ地ということもありエンドロールで指を指している人もいました。

映画を見たあと本屋により田中一村 豊饒の奄美
田中一村 豊饒の奄美
を買いました。


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2006年05月20日

田中一村

田中一村作品集

新聞をみてたら「アダン」という映画の広告。よくみると田中一村の生涯を描いたもので一村役は榎木孝明。写真などでみる一村よりがっちりしすぎな感じですこしイメージがちがうかな。美大出身で個展などもやってる榎木孝明も個人的に一村にほれ込んでのキャストなのか。

田中一村を知ったのはほんの偶然で、10年位前東京でいわば時間つぶし的にみた確か新宿三越での展覧会だった。会場に入ってその絵たちをみるやなにかぐんぐん惹きこまれてしまった。即その場で画集を買った。アダンっていう植物はどんなんだろう? その2,3年後沖縄に行ってアダンの群生をみたが、なるほどその曲線は絵の通りだったが、それは海岸に植物として普通に群れてるだけで、一村の絵は彼の情念が閉じ込められてるのだと改めて思った。

アダンの画帖田中一村伝
アダンの画帖田中一村伝

そしてこの自伝も続けて読んでみた。なかなか中央で認められずに奄美にやってきで独居する生活、その中で生まれたアダンや熱帯魚の生き生きとした絵。もう随分前に読んだものなので朧になってるが同期の画家が中央で認められてくのに対する思い、その画家が読んでて東山魁夷のような気がした。


映画「アダン」HP

田中一村関係ページ白翔画廊)やはりおぼろげな記憶は東山氏でよかったらしい。でも東山氏の絵も好きですが。。

(どうも村と中をまちがってしまう。間違ったので検索したら出てきた上のページ)
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