2010年01月16日

氷室冴子・プレイバックへようこそ

プレイバックへようこそプレイバックへようこそ (角川文庫)

プレイバックへようこそ2委員物語―プレイバックへようこそ 2 (角川文庫)



氷室冴子さんも同級生。惜しくも2008年6月6日に病気で亡くなってしまった。訃報の小さな新聞記事がとても悲しかった。

この「プレイバックへようこそ」(1989.9月、角川書店初版)「プレイバックへようこそ2」(1989.7~1990.2月まで月刊角川連載後1990.7月初版)を読むと、ひとけたの年齢だった子供の頃のことは白黒画像で、なまいきな10代のころの項目は少し色つきで蘇ってくる。連載年は32,3才。図書館でみつけて読んだのがたぶん1996,7年頃じゃないだろうか。ということは40才位の頃か。ここで私は氷室氏によって昭和39年以来の勘違いが正されたのだった。

東京オリンピックはご存知(じゃない方も最近は多いか)昭和39年。同級生的に言うと小学2年の時である。運動会では全校輪になって三波春夫の歌に合わせ「東京五輪音頭」を踊ったのである。振り付けは今思うと盆踊りのような左に両手で仰ぎ見ながら輪を作り、次ぎ右、そしてまた左に両手を斜めにしながら2歩下がるといった具合に行きつ戻りつゆっくり前進する(のだったような気がする) 何度も練習をしているからそれは耳にたこが出来るくらい五輪音頭を聴いている。

だが、1箇所歌詞がどうしても分からないところがあった。そして年月が経つと歌詞は忘れその分からない所だけが残った。

それは「おりんぴっくのかおとかお」というところであった。これを私は「オリンピックのカオトカを」と思い込み「カオトカ」とは一体何だろう?とずっと思っていたのだった。

さて「プレイバックへようこそ」は、歌、ならいごと、クラブ活動など6つの項目に分かれてるが最初がオリンピックである。そして扉をめくると、三波春夫のイラストに「オリンピックの顔と顔♪♪」「ソレトトントトント顔と顔♪♪」と飛び込んでくる。ドヒャーっツ!! なんとそうだったのか、さすが小説家になるくらいの方、2年生の時から分かってたのね、と30年以上の疑問が氷解したのだった。

ほか、オリンピックでは東京のほかメキシコの陸上ビーモン選手、札幌、歌だと小椋佳、そのたもろもろのアイドル達が冴子さんの目線で語られる。これがまたああ、こういう見方をするか、そうだそうだともうなつかしい。

「プレイバックへようこそ」のあとがきに、1989当時氷室さんが同年代の編集者と話しをしいて、団塊の世代の男の人のことが話題になり、当然氷室氏世代にとっては上司にあたり、その価値観の押し付けにとまどう、という事が書いてあった。そしてその子の「いちご世代」のネーミングまでが団塊からみたネーミングとなっている!と憤慨している。これがまったく同じ思いで、カオトカにも増して近親感を抱いたのだった。


「プレイバック2」は、深夜放送、歌謡曲、ではより具体的に語られて、ベストテンに一喜一憂したのも学生時代までだったなどまた同じです。いずれにしても20年前に30前半で書かれた青春回顧録、ということになりそれを今読むってことは・・あれほどけむたかった団塊も今やご退職なさり、でもジジババになっても今度はシルバーで脚光あびてるナお前達、という感じですが、いくつになっても22,3位までのこと~青春は回顧したがるってことなのか?な 
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2008年09月01日

おもひでぽろぽろ(岡本蛍 著)

おもひでぽろぽろ (上)
おもひでぽろぽろ (上) 青林堂

30年代続きでもうひとつ「おもひでぽろぽろ」。これは昭和40年代前半が舞台。
これはジブリの映画で一躍有名になったが、原作は小学生のタエ子の日常を描いた何話かのエピソード集。小学4.5.6年あたり。これが涙が出るほどなつかしい。初版は青林堂より1988刊。上下二巻の初版の表紙はバービー人形にぬり絵、裏表紙はタイガースに”ダンディ”だったと思う。

主人公のタエ子のキャラクターは成績中位、体育苦手、ワンテンポ遅れるといったところで、ちびまるこよりはおとなしい印象。映画の画は刀根夕子さんの画をなぞってはいるがジブリ化されている(当然か)。刀根さんの画は微妙なゆれがある。

舞台は東京山の手、杉並とか豊島区とか文京区とかという印象だが作者の岡本蛍さんは日本橋生まれとある。永らく同級生かと思っていたが1956年2月22日生まれとあった。

家族は祖母、父母、姉二人にタエ子。
大学生の姉がビートルズの公演に行く話。だが小学生の教室で話題なのは本家御三家で、舟木一夫ら3人の中で誰が好きかと言った問いにタエ子ははずかしくて応えられない。なにしろタエ子が好きなのは「ひょうたん島」の”ダンディ”なのである。我々世代にとってのアイドルは66年のビートルズ公演より遅れること2年、やはりグループサウンズの出現を待たねばならない。そのグループサウンズのTVを見てこたつに一緒に入ってるおばあちゃんがつぶやくのが「宮田輝さんが好き」見る番組は「ふるさとの歌祭り」である。これまたこどもにはひどく退屈な番組だったが宮田輝は鈴木健二の前のNHKの顔であった。

運動会で「たび」をはくなど、ああ東京でもそうだったのかと思ったり、パイナップルをもらって家族一同どうやって切って食べるのかひと悶着したり、まさに「おもひで」が「ぽろぽろ」である。

tamafioさんのblog に初版本の表紙が載ってます。

岡本蛍さん 

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2006年07月09日

東京物語(奥田英朗)

東京物語
東京物語
 2001.10

「空中ブランコ」で直木賞をとった奥田氏の自伝ともとれる青春記。
1978年4月に名古屋から”上京”して1989年11月にベルリンの壁が崩壊するまでの約10年間、18歳から30歳になるまでのエピソードが6つ収まっている。


奥田氏を意識するようになったのはごく最近で、ここ半年日経の夕刊にコラムを書いていた。そこでロシアに行ったくだりの描写がけっこうおもしろく最後の方に実はロック好きなのだと書いてある部分があって初めて興味をもった。

そこここにロックが流れている描写があってロック好きにはとてもおもしろい。また主人公は名古屋出身となっていて(奥田氏は岐阜出身だが)名古屋弁もおもしろい。

エピソードのタイトルからしてロック好きにはぴんとくる内容。タイトルごとに日付が副題としてついているが、1編目は「あの日、聴いた歌 1980/12/9」である。ここに登場するのが誰なのかはロック好きならすぐぴんとくる。
主人公、田村久雄は当時21歳のコピーライターとして登場する。小さな広告会社に勤務する久雄は仕事で移動中街中で「スターティング・オーヴァー」を聴き「ハッピー・クリスマス」を聴き「イマジン」を聴く。やけにジョン・レノンがかかると思ったらタクシーの運転手に死んだと聞かされる。
 しかし仕事の忙しさにお昼も食べられない有様なのだ。

年の近い人は読みながらなつかしくて自分のことをあわせて思い出すのではないか。
「春本番 1978/4/4 」では浪人すべく上京した最初の初日が綴られている。交番で道をきけば「田舎どこ?」と、言った訳でもないのに聞かれる。テレビもない下宿で暇をもてあましクラスメイトの下宿へと向かう後楽園で聞こえてくるキャンディーズの解散コンサート。好きでもないのに全部知っている、とつぶやくが好きでもないものも身に入ってくるのが若い脳だ。年取るときらいなものはシャットアウトしてしまう。

この1978年、初々しい久雄に反して私は大学4年の春を迎えていたがやはり4月のたぶん初旬、渡辺香津美を聴くために新宿ピットインに午後から並んでいた。出掛けに本屋で「ぴあ」を立読みしたら当日ピットインでの演奏情報が載っていてすぐさま行こうと決めたのだ。で少したつと後ろから声をかけられた。「みんななんで並んでるんですか?」「オレ先週(だか昨日だか)田舎から出てきたばかりなんです」ほほーと話すとなんと同じ県の出身。
また人が増え今度は後ろの男性に話しかけている。聞いてるとなんとまた並んだ男性も同じ県の出身だった。そう思って聞けばしり上がりのイントネーション。昔のこと全てを覚えてるわけではないがピックアップで忘れない光景として残っている。

お見合い場面の
「彼女のハイヒール 1985/1/15 」これも相手の女性が170cmで、彼女がきらいな男性と相対する時はハイヒールを履くという設定に自分がいるような気がしてしまった。
posted by simadasu.rose at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・青春もの | 更新情報をチェックする

2006年03月21日

青春とはなんだかんだ・柴門ふみ

東野氏の本を読んで、また子供の卒業式なんぞに出て「青春」に郷愁を感じだしました。「青春もの」のカテゴリーで青春エッセイを紹介してみようと思います。

青春とはなんだかんだ―柴門ふみの’70S青春記
青春とはなんだかんだ―柴門ふみの’70S青春記
1994.6

漫画家・柴門ふみのエッセイ。タイトルにもあるように中学・高校・大学時代あたりのエッセイ。彼女は'57年1月生まれなのでそれらの時代はほぼ70年代になるのだ。
小学館から'94年に出て'99年に小学館文庫で出ている。持ってるのは文庫の方でそちらにはコンパとおぼしき場面でピンクレディーを踊る柴門ふみが表紙になっている。

残念ながらこの文庫本どこかに行ってしまって行方不明なのだ。印象に残ってるのは、大阪までサイモンとガーファンクルのコンサートに行ったこととか、高校の修学旅行で東京に(初めて?)行った時バスの中で男子が「なんだ徳島(市)と同じだ、だけど延々と続いてるな」と言った事など。また彼女は才媛であるので大学受験ですべり止めである慶応に落ちてから、がぜん真剣になったとかいうあたりはちといやみかねー

一方ミーハーを自認するだけあって、やはりこの目次をみるとなつかしくて目がとろんとしてしまう。彼女の誌面デビューは中2の時、「ミュージック・ライフ」の投稿欄に載ったジャニス・ジョプリンの似顔絵。柴門はポール・サイモン。定年退職の団塊にばかり陽が当たってるけど同級生のサイモンさん、これからもおもしろい漫画を描いてね。(ってエッセイは読んでるけど彼女の漫画読んだことないなあ)

<もくじ>
 夢見るミーハー娘 よしだたくろう アイドルの条件 ハーフに憧れて 外人御三家 おたく少女と呼ばれて 七〇年代ルック ボウリングブーム サーファー スポ根 超能力 忍者 学校が好きだった 理科の実験 家庭科 マラソン大会 小学校から消えたもの 卒業式 テレビこそ青春だ! おれは男だ! 懐かしの人形劇 少年ドラマシリーズ ホームドラマ ザ・ガードマン 奥さまは魔女 視聴者参加番組 思い出の白いギター フォークブーム① フォークブーム② グループサウンズ① グループサウンズ② 今日までそして明日から ペット プリン 初めての味 二十一世紀 サイモン版青春年表 あとがき

うーんこの「外国人御三家」とは誰? 白いギターとはTVジョッキーの景品か。徳島で見られたのか。 


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2006年03月19日

あの頃ぼくらはアホでした

あの頃ぼくらはアホでした
あの頃ぼくらはアホでした
集英社文庫1998(単行本1995)

先ごろ直木賞をとった東野圭吾の中学~大学時代のエッセイ。

子供時代とか青春時代のエッセイとか自伝とか読むのが好きである。日経の「私の履歴書」とかかなりの年の人のでも子供から少年の成功するまでの話がおもしろい。今読売新聞でドナルド・キーン氏の回顧録が連載されていて今大学で日本語をやるところまで進んでるがなかなかおもしろい。

で東野圭吾である。実は随分前から知っていたがなぜか団塊世代の人と思い込んでいて本も1冊も読んだことがない。bookoffにいったっらふとこのタイトルが目に入った。でぱらぱらめくったら万博の年に中学に入った、などという文が目にとまりあれ同世代ではないかと思いイッキに読んでしまった。青春ものの場合、お年の方のは昔の記述が新鮮でおもしろいのだが同世代だとリアルに実感できるところがいいのである。しかし同じ時間を生きてるのにかくも違う青春を過ごしてるのか、とうらやんだりびっくりしたりもする。

東野氏は大阪の都市部の商店街で育ったのだが、会話は当たり前だが大阪弁である。大阪弁だとこうなるかあと、そこがおもしろい。

1970年代の中学とか高校は学生運動の後で平和・・自分の感覚では「男子の頭は丸坊主ではなく長髪にしたい」とかが生徒会の題目になったくらいで何もなかったという感じがしていたが、東野氏の通った中学はとんでもない中学で、化粧をした女子とかタバコは当たり前とかそんなだったらしい。

中学で早くもマージャンをしていたらしいが、そのBGMとか掛けるブツがビートルズのレコードだったという件がおもしろかった。東野氏の中学時代はビートルズは解散直後でリアルタイムで聴く音楽はツェッペリンとかCCRとかシカゴでそれらは一人で聴く分にはいいが万人好みとはいえず、皆がいいと思えるのがビートルズだったというのだ。音楽の話が出てくるのはこの部分だけだったが何か身近に感じた。

母親の読書熱がかえってマイナスになり読書嫌いだった東野氏らしいが高校では文化祭で映画を作りその脚本を書いて、小説らしきものも大学ノートに書いたというのだからその頃から小説家の素地はあったようだ。

東野圭吾関連サイト
posted by simadasu.rose at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・青春もの | 更新情報をチェックする
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