2016年07月18日

「暮らしの手帖」とわたし(大橋鎮子)

【ポケット版】「暮しの手帖」とわたし (NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』モチーフ 大橋鎭子の本) -  

本人89歳の時に、子ども時代、暮らしの手帖を始めて花森氏が亡くなるまでのことを書いた。ドラマよりこの本に書かれてる事実の方がシンプルて面白く、本物の鎮子さんの方がものすごくバイタリティーがある。

大正9年3月10日、東京麹町の病院で生まれている。父は岐阜県で生まれ深川の材木やの養子となり、北大に進学し、麻を作る会社に就職。母は京都で生まれ小樽で育ち、なんと女子美を出ている。北海道の工場長として赴任した鎮子の父と小樽で出会い結婚。父亡き後は財をなした母方祖父のおかげで学校を出たとある。

職歴も日本興業銀行の調査課で経済などと銀行内の資料を作る所に配属。同期には男性15人、女性が10人位いたとある。その後、もっと勉強がしたいと銀行をやめた先輩に刺激され、日本女子大に入学するが風邪をこじらせ結核のようになり半年で退学。で日本読書新聞に入る。日本読書新聞が日本出版文化協会の機関誌を作るようになったため日本出版文化協会に出向。そこで終戦。

出征していた男性も戻ったが、「使われていたのでは収入が少ない、今まで女で一つで私たち姉妹を育ててくれた母や祖父に恩返しをしたい、自分は戦争中の女学生であまり勉強もしていない、私の知らない事や、知りたい事を調べて出版したら、自分より上下5歳位の人が読んでくれるのでは」ということで雑誌作りを思い立つ。

で、花森氏の紹介を受け、その思いを話すと「僕は母親に孝行できなかったから、君のお母さんへの孝行を手伝ってあげよう」とその日のうちに方向性が決まったとあります。また花森氏は「二度と戦争にならないよう、自分の暮らしを大切にするようにしたい、みんなにあったかい家庭があったら戦争にならなかったを思う」と語ったとある。なんと花森氏は大政翼賛会にいたのであった。ここが衣・食・住、あの暮らしの手帖の原点なんだ、あのどこかかたくなさを感じる誌面はここであった。
posted by simadasu.rose at 07:48| Comment(4) | TrackBack(0) | 本・エッセイ、小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんて高学歴一家なんだ、戦前の女子美!!
ほぼ専業主婦で、とと姉をそっと支えてるだけの人だと思ったのに。
( ̄□ ̄;)

明日から見る目が変わるね(笑
Posted by タネ at 2016年08月19日 20:15
>見る目が
 そうなんですよ、お母さんはドラマよりずっとたくましいです。一家の精神的要だったかも。なんかドラマは受け狙いのエピソードを作りすぎ、ッて感じがします。

Posted by ろ〜ず at 2016年08月23日 05:51
たまたま入った美術館の中の喫茶店に「暮らしの手帳」があって、今夏号だったか、創刊号が付録でくっついてました。ドラマにあったように、大橋とと姉、簡単洋装のモデルで出てました。
確かにエネルギッシュな感じよ。
隔月発刊なんですね。図書館でどーそ。
Posted by タネ at 2016年09月10日 17:27
いやいや、ごめんです。今日になりやっと一息できる状況になりました。
あの時代、みな手作りですもんね、貫頭衣みたいなのもインパクトあったでしょうね。小中学生のころか、母がたまに買う主婦の友かなんかに、ブラジャーの作り方も載ってましたね。

5,6年前、「暮らしの手帳の基本料理」なんてのを買ったんですが、店頭では、よし、作ったるで、って感じだったんですが、写真眺めてるだけで終わってます。
Posted by ろ〜ず at 2016年09月17日 11:05
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