2015年12月27日

冬の光(篠田節子)

冬の光 -
冬の光 -  2015.11.15

夫が研いでくれた包丁をとり、妻はやおら一瞬刃を夫に向ける。そこからページは始まる。
そして夫の溺死体が上がり「最後の最後までやっかいをかけて・・」で本編が始まる。
夫は四国遍路からの旅行の帰路、62歳で海から身を投げた(と思われる)。父の四国遍路の旅程を追って四国を辿る娘の碧の行程と、父の時系列の文章で、徐々に父・夫の心情、行状が明らかになる。

主人公は震災のH24に62歳で死んだとあるのでs25生か、妻は5歳下とあるのでs30生まれあたりだ。とすると、妻が篠田氏の年齢と重なる。

娘の碧は、「中高年の自死」をテーマにした雑誌の取材を受け、「闘争の世代に属し、大企業につとめていたが、55歳で子会社に出向後、実父の介護もあり定年を待たず退職し4年近い介護の後実父を看取る。その後東日本大震災が起こり、ボランティアで現地に援軍に行き、一通りの活動が終わった8月、四国巡礼に行くと言って旅立った」と語るが、それは父の表面でしかない。父には母以外に心の奥に住む別の女の存在があったのだ。

大学時代に惹かれあった同級生同士。しかし結婚することはなく、それぞれの道を進み、男は家庭を持ち孫も生まれた。女は研究者の道を進み、1人津波の渦に呑まれた。しかし途中で偶然にも再会して、女は男の「心の奥底に住みついてしまった。」
「大人の男女の出会いや別れに、告白も宣言もない。いや、色恋に限らず、日常的な人間関係もそんな風にいつとはなしに始まり、いつのまに疎遠になって終わっていたりするものだ。そして気がついてみると、再び始まり、数十年と続いていたりする。」

この小説では、学歴は無いが気のきく常識的な妻と、対等な会話のできる別の女 だが
対等な会話のできる妻対、かわいい別の女 というミラーストーリーもあるだろう。

篠田氏のインタビューによれば、「ある男の人生が見せる社会の深遠」 本の話Web 2015.12.2
「老境を目の前にして、自分が歩んできた小市民的な人生に意味を見出せなくなる、実存的な不安のようなものを描きたいと思いました。・・失われた自分の根っこを探す場所はどこだろうと考えたときに、やはり宗教に近づき、しかし宗教にはじき出される現代日本人の精神構造に行き着くかと。・・若い碧はその景色〜冬の光〜を見て涙をこぼしたりするけれど、父の抱えたものはわからない。それでいいし、それが親子だと思います」とある。

篠田氏は、主人公・康宏に、思う女、行きずりの女にいともたやすく偶然の出会いを用意していて、それに乗ってしまうヤスヒロさんがなんだか滑稽で、「おバカさんねえ」、とナレーションを入れたい。最後の「冬の光」の描写は、人によっては泣かされるかもしれないが、妻の立場でみると、「何をいまさら」とでも言うかもしれない。包丁の描写とか、その他の折々の妻の描写はとてもリアルでうなずけるものだ。しかし、ヤスヒロの震災後、退職して親も看取り、孫もいて、妻と行くドライブの空虚感はうなずけるものがある。うなずけはするが、篠田氏は妻に自分ひとりの墓を買わせており、それは妻が「冬の光」を撮ろうとした夫を後で知っても墓には1人で入るに違いない。いやどうだろうか。

今までにも、「逃避行 」で飼い犬を連れて家を出る主婦、 「銀婚式」では題名の通り銀婚式になろうとする夫婦が描かれているが、いずれも最後に救いがあったように思うが、それに比べこの「冬の光」はなんとも、夫婦、人生について考える時、う〜んとうなってしまった。同じ愛人がいた桐野夏生の「魂萌え」も夫の死から始まるが、こちらは死後に残された妻の新しい門出を描いており、夫に対しては死後に初めて愛人の存在を知ったので「まっッ、しょうがないワ」となるが、「冬の光」は長い夫婦生活の間の葛藤が描かれた挙句の死なので、割り切れない思いが残るのだろうか。そういう点で篠田氏の「実存的な不安」を描きたいというのは成功しているのだろう。だけど、こと自分について考えると、来年、還暦を迎え定年を迎え、サア解放された輝かしい60代を謳歌するのダ、と思っている所なのだが。。
posted by simadasu.rose at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・篠田節子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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