2014年10月27日

ウイスキーと私(竹鶴政孝著)

ウイスキーと私 -
ウイスキーと私 -  2014.8.30

10月からの朝ドラがおもしろく読んでみた。テレビは最初回想シーンが交互に入り少しみずらかったが、やはり泉ピン子の木魚ぽくぽく場面でこりゃおもしろいとなった。大阪の酒店の娘の意地悪場面も定番? なにか内助の功的描き方が強調されすぎてる気もするが、そこはテレビ、この竹鶴氏の自伝はテレビ以上におもしろい。いろいろ関連本が出てるがこれは昭和47年2月にニッカウヰスキーが発行した私家版の改定復刻版。日本経済新聞の「私の履歴書」を私家版として出したものなので、きっちり31回分、各回小見出し付き。実際の連載日は47年2月より少し前のことだろう。連載月日は記載が無いのでこの本ではよくわからない。(昭和43年5月のようです)

この本で竹鶴氏は自分は幸運に恵まれていた、と言っているが確かにイギリスへの渡航中、並走して航海していた船が沈没して1名を除き全員が死亡してしまったり、またイギリスでの留学中とか、日本に戻ってのウイスキー作りにかかわってからとか、いろいろ困難はあるがいい方に舵が向いて行くようである。しかし自伝をよむとそれはやはり努力の賜物あってのことだというのが分かる。

今の大阪大学の醸造科を出ているのだが、アメリカ経由で、サンフランシスコからニューヨークまで横断して、アメリカではアメリカ訛りの英語に悩まされたが、イギリスへ行っては「私の英語はよく通じ、相手の言葉のわかるのがなによりうれしかった」とある。アメリカで昼間ワイン工場を見学し夜は英会話を習ったとあるが、当時の大学出はやはり違うのか、と感心する。おまけにリタを伴って日本に来る際もアメリカ経由なのだが、リタのイギリス英語がアメリカで通じず、竹鶴氏が通訳した、などという話も載っている。

作り酒屋なのに洋酒を学びにイギリスへ、はたまたイギリス人の妻を伴って帰国、とそのたびに最初反対されるが最後には後押ししてくれたのは「母」だったとある。そこらへんドラマとは反対なのだが、履歴書では「顧みると、ウイスキーで苦しみ、ウイスキーで喜んだ人生であった」と締めくくられている。

思えば、自分の大学時代、昭和50年代前半、飲み会といえばビールか水割りだった。コーク杯なんかもあった。しかしサントリーのダルマの方が飲まれてたかなあ。しかしヒゲの顔は確かに記憶にある。
というわけで、ニッカウイスキーを飲んでみたくなり、
ブラックニッカ これを近所のセブンイレブンから買ってきた。ニッカではこれだけが置いてあった。小鬢で289円。しかしこの形、昔やはり大学のころ鈍行で帰る帰省の東北本線で向いに座ってしまったあやしげなおじさんが懐から取り出して飲んでた形、またはジャニス・ジョップリンの写真で写ってた形と、飲んだくれのイメージがある。とはいえ私はウイスキーはストレートが好き。今夜は飲んだくれました。

てなわけで、ウイスキーにちょっと興味がわき、
ウィスキーの基本 -
ウィスキーの基本 -  552円也を買ってしまいました。まずはニッカの銘柄全部を飲んでみたい。

MrBooPapaさんのblog「読書録」に「私の履歴書 経済人11」(日本経済新聞社編)が載っておりそこに連載月日が記されていました。

黄昏ウイスキーBARinブログ 大阪マスターさんだけあり大阪の地の利がよく分かります。摂津酒造や当初二人が住んだ場所やニッカのポットスチル製造の鉄工所など興味深い記事です。


posted by simadasu.rose at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・歴史地理伝記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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