2018年02月11日

シュピルマンの時計(クリストファー・スピルマン著)

シュピルマンの時計 -
シュピルマンの時計 -  2003.9小学館

「戦場のピアニスト」シュピルマンの長男の著。シュピルマンは映画「戦場のピアニスト」で描かれたようにゲットーを生き抜き、戦後はポーランドでピアニストとして大成した。映画のその後を父としてのシュピルマンを長男の目を通して綴った。

シュピルマンは1950年に結婚し、この著者長男は1951年生まれ、「戦場のピアニスト」で序文を寄せている次男は1956年生まれ。本は長男クリストファーの生活と共に書かれており、50年代から70年代のポーランドの生活事情が垣間見られそこが貴重な本だ。母は医者でシュピルマンは著名な音楽家であり、社会主義国ポーランドでは普通の家庭にはない自動車があり別荘もあったようだ。BBC放送など外国放送は自由に聴くことができ、子供時代はテレビでアメリカのホームドラマが流れ、また「七人の侍」なども見ているという。ただ社会全体では物資が不足し、そこに戦争体験が加わり父シュピルマンは物をためこむ癖があり、表紙の時計は数ある時計の中から父からもらったものだという。

シュピルマンはジャズも聴き、また弾いて、オスカー・ピーターソンがポーランドに来た時は会いに行き、会えたことを誇りにしていた。エルビス・プレスリーも嫌いではなかったが、ビートルズは素人の音楽だといって受け付けなかったようだ。また勉強しながら音楽を聴くと怒られ、音楽は専念して聴くべし、と「音楽は父にとって厳かな存在だった」。家には常に父の仕事のピアノの音があり、ピアノを弾くことで戦争の記憶を封印していたのではないか、と記している。

1951年のある日、ホーゼンフェルトの家族から放送局に手紙が届き、そこで初めて助けてくれたドイツ兵の名前が分かった。そこでポーランド共産党の幹部に助けてほしいと頼んだが、ソ連は「収容所には犯罪人しかいない」と、取り付く島もなかったという。1953年にスターリンが亡くなり、1956年にスターリン批判がされれ、1957年に西ドイツに演奏旅行に行った。生きていると期待してホーゼンフェルトの家に行ったが、1952年にスターリングラードの収容所で心身を病んで亡くなっていた。が、遺族とは今もつきあいを続けており、映画試写会には息子夫人が招待されている。

また「戦場のピアニスト」は初版後直ぐ絶版になっているが、それは共産主義によって発禁になったのではなく、ポーランドの物資不足で再版に回す紙が無かったからだという。本はベストセラーとなり、後に夫人となる母も高校生の時に読んでいるくらいで、一応の成果を見たという事で、紙は別の出版物~政府の広報優先とされたという。

また1948年にはポーランドで映画化の話が持ち上がったが、主人公が労働者じゃないなど共産党の検閲が入り、主人公は集団になり、シュピルマンも原作者から名をはずすよう頼んだ。著者が10代のころ~1960年代にテレビで「ワルシャワのロビンソン」として放送されたが原作とは似ても似つかぬものだったという。

父シュピルマン氏は引退後、自分ひとり生き残ってしまった、という思いにかられる事が多く、そんな時期に映画化の話が持ち上がったという。また父シュピルマンは戦争については語ることなく、この長男クリストファー氏は、11歳の時に屋根裏にあった父の本を偶然見つけて読み、初めて父の家族がいないのが分かったという。書かれている事実は少年にとってとても重く、まだ6歳だった弟に話したという。その後も直接父と話すことは無く、父は本を隠すほど子供たちの目にふれさせたくなかったのだと理解したという。母でさえも戦争のことを聞くのはためらわれたという。

母によると「お父さんがいちばんつらく怒りを感じたのは、同じユダヤ人で、ユダヤ人警察にいて人を殺した人が、戦後も生き延びていること、それがいちばん大きな問題だった」と語ったという。

著者クリストファー氏だが、高校を出ると、イギリスのリーズ学に行き、ロンドン市役所に勤め、柔道を習い、日本にやってくる。またロンドンに戻り78年から80年までロンドン大学の日本語学科で学び、再び日本に来てボランティア活動でバンコクに渡る。さらにアメリカのエール大学大学院で歴史、東アジア研究学科を85年に終了。さらに91年アメリカのバージニア州立大学で日本史を教えている時、妻となる日本人研究者と会い結婚。そして来日し、九州産業大学教授を経て 2017現在帝京大学教授。 専門は日本近代政治思想史。ということでこの本は日本語で書かれている。

クリストファー氏は14,5歳になるとポーランドから出たいと思うようになった。ポーランドでは「シュピルマンの息子」の立場から逃れられず、また自由に旅行ができず、物資も不足して、真の言論の自由の無い社会から出たい思いだったようだ。また1956年以降は、外国から「招待状」をもらい数年、各国に出稼ぎに行くポーランド人が多くいたそうだ。

クリストファー・スピルマン氏インタビュー 2005年1月(株式会社エス・エー・エス)
スピルマン氏略歴 (ウィキペディア)

ウワディスワフ・シュピルマンは1911年にポーランド南部のソスノヴェッツで生まれ、ワルシャワ音楽院で学び、ベルリンにも留学している。戦前はポーランド放送局で働いていたが、戦後、再びポーランド放送局で働き始め、1963年まで音楽部門の主任を務め、その後は演奏旅行の傍らワルシャワ五重奏団の活動に専念し、世界中で5千回ものコンサートを行ったのち、1986年に引退し作曲に専念。2000年7月6日に亡くなった。歌謡曲も多く作曲し「赤いバス」はポーランドの国民歌謡とか。

シュピルマン オリジナル・レコーディング - シュピルマン(ウワディスワフ)
シュピルマン オリジナル・レコーディング - シュピルマン(ウワディスワフ) シュピルマン氏演奏のCD 2003

ウワディスワフ・シュピルマンを唄う - ウェンディ・ランズ
ウワディスワフ・シュピルマンを唄う - ウェンディ・ランズ シュピルマンの歌謡曲? 2003

「ワルシャワの赤いバス」(Czerwony Autobus) youtube これがそうなのか?

ポーランドについてほとんど何も知らないんだなあと思う。著者の母方の祖父はポーランドのロシア占領時代に独立の地下組織にかかわり、逮捕され12年間シベリアの収容所にいて、足と腕にはその時の鎖の痕があったという。さらに1939年に戦争が起こると今度はドイツ軍に逮捕され終戦まで6年間収容所にいたという。弟のアンジェイは西ドイツで歯科医をやっているというが「戦場のピアニスト」の前書きで、「長年ドイツで暮らしてきて、ドイツ人とポーランド人とユダヤ人の間の交流が欠如していることをとてもつらいことだと思ってきた」と書いている。

ラベル:ユダヤ人迫害
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2018年02月10日

戦場のピアニスト(ウワディスワフ・シュピルマン著)

戦場のピアニスト -
戦場のピアニスト -  2000.2春秋社刊

映画を見て原作も読んでみたくなり読んでみました。

映画はこの原作にほぼ忠実に作ってありました。さらに驚くべきことには、映画よりこちらの本の方が(言い換えれば事実が)迫害の方法、というか殺戮のやり方が残虐だったことです。映画でも街中からユダヤ人を選別し並べて射殺する場面や子供が殺される場面が何度か出てきて、なんと・・・と目をそむけたくなりますが、本ではシュピルマンの目の前で起こったその出来事が淡々と書かれています。殺戮や死体の転がっているのが日常になっているのです。敵軍が自国に侵入し、住居の周りに常に敵兵がいて一般市民が日常に殺されるという恐怖です。

また、戦争は起きるかもしれないという雰囲気はあったものの、戦争開始はやはり突然で1939年9月1日早朝、シュピルマンは爆撃の音で目を覚まします。そして仕事場のポーランド放送局に向かいます。また、強制収容所への移動の場面でも、最初は「労働」と言われ、自分たちの身に何が起こっているのかよくわかっていないのが分かります。

シュピルマンは1911年の生まれ。1939年の戦争開始時は28歳。戦争まではワルシャワ放送局でのピアニストとしての仕事をし、ゲットーに囲まれてからはゲットー内でのレストランでのピアノ弾きをする。

ユダヤ人の強制移送はドイツ兵によってされたのかと思っていましたが、ドイツ兵の指揮のもと、直接ひったてるのはユダヤ人評議会、ユダヤ人警察によってなのをこの本で初めて知りました。映画ではそこら辺がよく分からなかった。またドイツ以外は解放者と単純に考えていましたが、ウクライナは複雑で、この本ではポーランド同胞以外は皆、敵でした。

本ではワルシャワ解放でシュピルマンは自由になりますが、ポーランドのその後を思うと、第二次世界大戦が終わっても今度は社会主義体制となり、また別の苦難が待っているんだよなあと思いました。

エピローグを書いているドイツの詩人ヴォルフ・ビールマンは、本の再版がドイツで決まった時、老シュピルマンに恩人のドイツ兵ホーゼンフェルト大尉について聞くと「私は話したくないんだ。・・恥ずかしいんだ。1950年代の終わりに大尉の名前をやっと見つけて、こともあろうにポーランドの最高権力者ベルマンに頼んだんだ。ベルマンは、そのドイツ人がポーランドにいるならね、ソ連は将校を釈放するつもりはない、あの将校はスパイ活動とかかわりのある分隊にいたというんだな、だからポーランド人としてはどうにもならない、と言ったんだ」と言ったそうです。

原著は1946年に「ある都市の死」という題でポーランドで出版されたが、救ったドイツ兵はオーストラリア人とされた。戦後すぐはポーランドでドイツ兵が勇敢な人助けをした本を出版するのは不可能だったとある。



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2018年02月07日

戦場のピアニスト(BSで)

戦場のピアニスト [DVD] -
戦場のピアニスト [DVD] -  2002.9公開 フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作

主人公はワルシャワのユダヤ人ピアニスト。両親、姉妹弟と暮らしている。ゲットーに集められ、そして選別され、送られ、逃げ、隠れ、そして生き延びる。ポーランド人とドイツ兵の助けによって。戦争の残虐さ、主人公シュピルマンの運命がすごい迫力で迫ってきた。例えが卑小だが、ドッジボールの相手方のボールを正面からズシンと胸で受け止めた感じ。

見終わって調べると、なんと実話。公開時題名だけは知っていたがなぜか見ることは無かった。シュピルマンは1945年に執筆しポーランドで出版するも、すぐに絶版。それが91年のソ連崩壊10年を経て、日本では英語版からの翻訳本が2000年2月に出版された。

それになんと監督がロマン・ポランスキー。ポランスキーもユダヤ系だったのも今回知った。ポランスキーはシャロン・テート事件や少女淫行がまず頭に浮かび、こんなシリアスな映画とのギャップを感じてしまうが、自身の母親も収容所で亡くなっている。

ゲットーで生き延びた少年の映画「マイ・リトル・ガーデン」を思いながら見た。

関連本も読んでみました。
「戦場のピアニスト」ウワディスワフ・シュピルマン著

「シュピルマンの時計」クリストファー・スピルマン著


監督のポランスキーへのインタビュー映画が2012年に作られた。
「ロマン・ポランスキー 初めての告白」の日本語字幕・岩谷いづみさんの話 ポランスキー自身の戦争体験は翻訳していて壮絶だった。監督作では「戦場のピアニスト」が一番クローズアップされているという。
「ロマン・ポランスキー初めての告白」公式サイト 
ラベル:ユダヤ人迫害
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2018年02月06日

ダークタワー(映画)

少年の脳裏に浮かぶダークタワー。黒い人。ガンスリンガー。それが何なのか説明しても誰もわかってくれない。
少年の住む根本世界、ガンスリンガーの住む中間世界、黒い人のいる悪の世界、根本世界と中間世界のバランスを保つダークタワーがそびえる。黒い人は自分の世界を全てのものとするためダークタワーをこわそうとする。それには強い霊感のある少年が必要だった。果たしてダークタワーは守れるのか・・・

キリスト教に基づく悪魔が黒い人に変わったのかな? 日本の物語の悪人とは違うものを感じる。スティーブン・キングが20年以上にわたって書いてきた物語。キングの思い描く世界が描けたのか。映像は最新の技術で、広いスクリーンで広大なダークタワーの世界が広がっていたが、どこか指輪物語もちらっと脳裏に浮かんだりしたが、指輪が壮大なファンタジーなら、こちらはこじんまりしたダークファンタジーか。

少年ジェイク役のトム・テイラーが子供なのにすごい整った顔。調べてみると2001年生まれ。アメリカ公開20017.8だから撮影は2016だとすると15歳の映像なのか。この少年が出てるから見られた。

ダークタワーオフィシャルサイト

トム・テイラーの記事(T-SITE NEWS)


Dark Tower / [Blu-ray] [Import] -
Dark Tower / [Blu-ray] [Import] -  輸入盤のDVDがすでに発売されている

ダーク・タワー1 ガンスリンガー (新潮文庫) -
ダーク・タワー1 ガンスリンガー (新潮文庫) -  原作は7部構成。1982から2004にかけ出版
posted by simadasu.rose at 22:19| Comment(0) | 映画 | 更新情報をチェックする

2018年02月01日

祈りの幕が下りる時(映画)

新参者シリーズ完結編と銘打っている。
新小岩の河川敷での焼死体、宮城県のバーに長い事務めた女性の死、その女性と親交のあった原発に勤めていたらしい男、滋賀県のある町での一家離散、新進の女性演出家、老人ホームに迷い込んだ謎の女性、バーの女性の遺品のカレンダーに記されていた常盤橋、日本橋などの名。そして加賀恭一郎の家を出て行った母、母の住んだアパートが死後、東日本大震災でで流されたなどの事も織り込みつつ、それらがつながり、恭一郎の日本橋署での勤務も終わりの日が来る。

エピソードがよくつながるな、という無理さはあるものの松嶋菜々子、もちろん阿部寛は魅力的。また脇役の捜査本部の春風亭昇太、キムラ緑子、先生の及川光博などもよかった。加賀の母役は見てる時は市毛良枝かと思っていたが伊藤蘭だった・・ 
大画面で見る娯楽映画として満足感はある。がどこかTVの2時間ドラマの雰囲気も漂う。平日昼間熟年男女でいっぱいの客席でした。

「祈りの幕が下りるとき」公式HP

原作は
祈りの幕が下りる時 (講談社文庫) -
祈りの幕が下りる時 (講談社文庫) -  2016.9(単行本は2013.9)

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2018年01月26日

山の音(BSで)

山の音 [DVD] -
山の音 [DVD] -  1954.1公開 

原節子、BSで録画していたのを見る。
原作は川端康成。昭和24年から29年にかけて書かれた連作をまとめたもの。

鎌倉が舞台で菊子(原節子)の夫修一(上原謙)は父親信吾(山村聡)と同じ会社で働き東京まで通っている。家には姑保子(長岡輝子)もいる。結婚してまだ数年なのに夫修一は浮気をしている。が、菊子が嫌いなわけではなく、戦争による心理的傷があり人生に素直になれないでいる。舅の信吾は嫁の菊子に好意的で、家に帰れば上着をしまったり身の回りの世話は妻の保子ではなく嫁の菊子がやっている。ここに出戻ってくる妹がからみ、それぞれの思惑が白黒の歴史的空間を行き来する。この映画で原節子がいちばん美しくみえたのは、決意をした最後の場面だった。しおらしく耐える役より、すくっと前に進む場面のほうがきれいにみえる。

設定年代は同時代でかなり世の中は落ち着いているように見える。ただ夫修一の戦後9年経ってもひきずる戦争の記憶、浮気相手が洋裁で経済的に自立した戦争未亡人、会社の秘書(杉葉子)も恋人が戦死した、という設定で「戦争で失ったもの」が色濃く出ている。

今から64年も前の作品なのに、夫婦、家庭のさざ波といったものが古く感じない。登場人物の品のいいセリフのせいなのか、原作の強さなのか。セリフの間にある感情など、原作を読んでみたくなった。

信吾の妻と娘は不器量、信吾が本当は好きだった妻の姉、嫁は美人、というのをセリフでしゃべらせている。
他の50年代の日本映画を見て感じるように、買い物籠、服のデザイン、男性の帽子、井戸、蓋の無い側溝、「・・ですの」などの言葉遣いなど動く民俗博物館だ。

1954当時の年齢、原節子は34歳、杉葉子は26歳、長岡輝子は46歳、そして上原謙が45歳、山村聡は44歳なのだ、親子の設定なのに親役の山村聡の方が1歳年下! でも山村聡と長岡輝子は60歳位の設定だが、メイクがよくできているのか、演技がうまいのか、背も曲がっていて老年に見えた。

原節子は「東京物語」の次の年の作品だった。監督は成瀬巳喜男で1951年に上原謙と原節子の夫婦役で「めし」を撮っていた。「コタンの口笛」なんかも1959年に撮っているようでこれを見てみたい。

山の音(キネマ旬報キネノート)
posted by simadasu.rose at 17:13| Comment(0) | 映画 | 更新情報をチェックする

2018年01月25日

原節子メモ

原節子1920.6.17(大正9)~2015.9.5(平成27)
 肉体的には最も瑞々しい時期、15歳から25歳が戦争中なのである。
 小津安二郎の「晩春」「麦秋」「東京物語」は29歳から33歳。

< 映画 > 「原節子去りぬ」(週刊朝日増刊)でベスト20と出ていたもの 〇観たもの
〇「河内山宗俊」1936 16歳 山中貞雄監督 
  無頼漢たちを奮い立たせる清純な娘。河原崎長十郎
「新しき土」1937 17歳 アーノルド・ファンク(独)、伊丹万作監督
  日本女性の慎ましく奥ゆかしい美しさ。早川雪州
「ハワイ・マレー沖海戦」1942 22歳 山本嘉次郎監督
  兵士を支える銃後の健気な日本女性。大河内伝次郎
「わが青春に悔なし」1946 26歳 黒澤明監督
  戦前から戦後と自分の生きる道を見つける主人公。藤田進、杉浦春子 
「安城家の舞踏会」1947 27歳 吉松公三郎監督
  強い意志で明日に向かう華族の令嬢。滝沢修、森雅之、津島恵子
「お嬢さん乾杯」1949 29歳 木下恵介監督
  愛に目覚める華族の令嬢の結城。佐野周二、佐多啓二
「青い山脈」1949 29歳 今井正監督
  英語教師・雪子役。池部良、杉葉子
「晩春」1949 29歳 小津安二郎監督
  父娘二人暮らし。父・笠智衆、杉村春子、三宅邦子
「白痴」1951 31歳 黒澤明監督
  氷のように冷たい女性の隠された真実。森雅之、三船敏郎、久我美子
「麦秋」1951 31歳 小津安二郎監督
  父母兄夫婦と暮らす紀子。兄・笠智衆、母・東山千栄子、隣家の医師の母・杉浦春子、
「めし」1951 31歳 成瀬巳喜男監督
  アルミ鍋でめしを炊く原節子。夫・上原謙
「東京物語」1953 33歳 小津安二郎監督
  わしらは幸せだ(と思おう) 父・笠智衆、母・東山千恵子 長男・山村聡、長女・杉浦春子、次女・香川京子
「山の音」1954 34歳 成瀬巳喜男監督
  妻の孤独。義父・山村聡、義母・長岡輝子、夫・上原謙、秘書・杉葉子
 「驟雨」1956 36歳 成瀬巳喜男監督
  倦怠期の夫婦の寂寥。夫・佐野周二 姪・香川京子
〇「東京暮色」1957 37歳 小津安二郎監督 
  出奔した母。父・笠智衆、母・山田五十鈴、次女・有馬稲子
 「智恵子抄」1957 37歳 小津安二郎監督
  高村光太郎・山村聡
 「娘・妻・母」1960 40歳 成瀬巳喜男監督
  夫を亡くし実家に暮らす長女。母・三益愛子、長男の妻・高峰秀子
「秋日和」1960 40歳 小津安二郎監督
  初めての母親役。娘・司葉子、娘の婚約者・佐田啓二 娘の同僚・岡田茉莉子
「小早川家の秋」1961 41歳 小津安二郎監督
  京都造り酒屋の長男の未亡人役。次女・司葉子、長女・新玉美千代、義父の女・浪花千栄子
「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」1962 42歳 稲垣浩監督
  大石りく役。大石内蔵助・松本幸四郎、浅野内匠頭・加山雄三

< 本 >
「原節子去りぬ」2015.12 (週刊朝日増刊)朝日新聞出版
小津ごのみ」中野翠著 2011.4 
「彼女が演じた役~原節子の戦後主演作を見て考える」片岡義男著 1994(文庫1998.9) 早川書房
「原節子~伝説の女優」千葉伸夫著 1987(2001文庫)筑摩書房
「永遠のマドンナ 原節子のすべて」佐藤忠雄監修 1986.5 出版共同社

posted by simadasu.rose at 14:53| Comment(0) | 目次 | 更新情報をチェックする
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